慶長十年摂津国絵図を歩く

第3回西宮博物館・資料館連携講座 「慶長十年摂津国絵図を歩く」
2012年6月13日(水)を聴講した感想をご紹介します。


今回は西宮市立郷土資料館の合田茂伸氏の解説で、兵庫県指定重要有形文化財である
「慶長十年摂津國絵図 (けいちょうじゅうねんせっつのくにえず)」についての講座でした。

2012.6.13. 2010.12.公開時

「何かあったときにはこれだけは持って逃げます(笑)」というこの絵図は、縦2.29m横2.49mの
大型の古地図で、もとは折りたたんだ状態で伝わっていましたが、現在は軸装になっています。
上右写真は2010年12月に公開されたときの様子ですが、とても大きなものなので展示する
ためにこのように学芸員が数人がかりで作業しないといけないそうで、なおかつ、この天井から
吊っても下端が床についてしまうので展示スペースの確保も大変だそうです。

ところで国絵図とは、奈良時代に律令制を整え全国を支配するために国や群の単位での
地図を作らせたのが始まりで、文献の中に作らせたという記述はいくつかあるそうですが、
さすがに奈良時代の地図は残っていません。

その後は世の中が乱れ、次に全国支配のために絵図を作らせたのが豊臣秀吉だそうです。
そして徳川家康が命じたのが慶長9(1604)年頃でそのときの地図がこの摂津国のほか
和泉・小豆島・筑前・周防・肥前など13枚残っているのですが、これらは幕府に提出された
正本ではなくすべて控えや写しとして地元に残っていたものだそうです。

摂津国絵図はたまたまほぼ中央に西宮の町が書かれていて、その関係で尼崎藩陣屋で
この控図が保管され、後年西宮町が天領になってからは大坂町奉行所の勤番所に
(陣屋・勤番所ともに戸田町あたりか?)、さらに明治になってからは西宮町町役場から
のちに西宮市役所へと伝わったのではないかと言うことでした。

2012.6.13. 2010.12.公開時

今回の講座では現物の展示はなかったのですが、スライドやもらった資料を見ながら
西宮市を中心にした解説を聞きました。
今との違いが一番気になるのは、西国街道が今のようにつながっていないことです。
打出から北東方向へ上る道は西宮神社のそばを通らずに越水を通り伊丹から大坂方面へ
つながり、京都方面から下ってくる道は小浜から有馬のほうへ道が伸びています。
(上右の地図写真をクリックすると大きくなります。赤い線が主要な道を表しています)

スライドで写真を拡大して細部を詳しく見ることが出来たので、村名の横に石高が
書き込まれているのを見たり、「門戸」を「主水」と書いてるなど今と違う漢字を使った
村名を見つけたり、西宮神社が三連になった屋根に描かれているのに感心したり、
地図を楽しく見ることが出来ました。
今のところ展示の予定は特にないそうですが、公開の機会があればぜひ一度見てください。

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次回、第4回西宮博物館・資料館連携講座は黒川古文化研究所の川見典久氏が
「鍔(つば)・刀装具の世界」を9月15日(土)に講演する予定です。(2012.7.10.追記)

 

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