倭国女王ヒミコと銅鏡百枚

第1回西宮博物館・資料館連携講座 「倭国女王ヒミコと銅鏡百枚」
2012年4月21日(土)を聴講した感想をご紹介します。

 

本日は公益財団法人辰馬考古資料館の水野正好館長の講演でしたが、話もおもしろく
わかりやすくあっという間の二時間でしたのでどの内容を紹介するか悩みます。

まずは魏志倭人伝の内容を紹介して、邪馬台国への道のりの解説がありました。
さらに聖徳太子の時代に日本へ来た隋の使者が「魏志には倭国へは(博多から)南へ
と書いてあるが、今は東へ進んでおり間違ってないのか」と問いただしたが、東へ
進んで行って間違いなく倭国に到着した、という記録が『随書』にあるということに
注目して(つまり魏志が南と東を間違っている証拠になる)、水野館長は邪馬台国は
奈良にあると考えているとのことでした。

そして今回のタイトルの銅鏡100枚についてですが、卑弥呼が魏に使いを送った時に
「親魏倭王」の金印や刀や織物などいろいろ返礼をもらった中の一つです。
ただ織物などは痛んでなくなりやすく、金印や刀は数が少ないのでしまいこまれていたら
見つけられないけど、銅鏡100枚なら数もあるし銘文も入っているはずだから探せば
見つかるかもしれないと着目し、それは三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう・と
現在呼ばれている鏡)ではないかと考えたのが富岡謙蔵でした。

富岡謙蔵とは画家富岡鉄斎の息子で、辰馬考古資料館が古い銅鏡を所蔵しているのも
辰馬氏が鉄斎と懇意にしていた縁で関心を持って収集を始めたものだそうです。

ただこれにも昔からさまざまな学説があって、三角縁神獣鏡は中国で発見されておらず
中国の鏡は直径18cmほどだがこれは24cmほどもあり特殊である、日本での出土の
ほとんどが卑弥呼の時代より後の古墳からでしかも500枚以上発見されている、銘文の
景初四年という年号は存在しないなどの理由から卑弥呼の鏡ではないという説もあります。

この点に関していくつか理由を挙げて「卑弥呼のもらった銅鏡100枚はまだどこかに
眠っているか破損したか現在見つかっていない。三角縁神獣鏡はその100枚とは別に、
銅鏡好きの日本人が魏に行った際に工房に発注して作らせて持ち帰った可能性がある」
というのが水野館長のご意見でした。

この「日本人が魏で注文した特製の鏡」という意見は私ははじめて聞いたのですが、
今でも海外旅行でブランド品を買ってくるみたいに(ちょっと違う?)、本場へ行って
貴重な品を入手してくるということはあるかもしれないと興味深いお話で楽しかったです。

 

この「西宮博物館・資料館連携講座」とは、西宮市内の博物館や美術館が連携して
さまざまな情報発信をするという目的で今年度からはじまりました。
まずは辰馬考古資料館、西宮市立郷土資料館、黒川古文化研究所という歴史系の
研究施設が集まって、毎月何らかの講座を開催する予定だそうですので、今後の
講座の内容も楽しみです。

追記(2012.5.10.)
第2回西宮博物館・資料館連携講座
「銅鐸研究の『同期』化~精緻を極める銅鐸研究の整理を試みる~」
2012年5月30日(水) 13:30~15:30  西宮市立郷土資料館講座室 資料代500円

辰馬考古資料館 http://www.hakutaka.jp/tatsuuma/index.html
西宮市立郷土資料館 http://www.nishi.or.jp/contents/00002592000400048.html
黒川古文化研究所 http://www.kurokawa-institute.or.jp/ 

 

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