第14回西宮博物館・資料館連携講座 「古代白眉の名剣-陽陰剣と三寅剣-」
2014年1月15日(水)を聴講した感想をご紹介します。
タイトルを聞いただけでは何のことか全くわからずに聞きに行ったのですが、
正倉院御物関連でまだわかる時代だったので、辰馬考古資料館館長の
水野正好さんのお話はとても面白く聞けました。
大仏殿を作った聖武天皇が亡くなった後、光明皇后が遺品を寄進して正倉院に
献納された物の中で、目録に記載はあるけれど長いあいだ所在不明だった
「陽寶劔(ようのほうけん)」「陰寶劔(いんのほうけん)」という刀を確認できた
というもので、2010年の 新聞記事を見てそういえば大きく取り上げられて
いたなと思い出しました。
明治40(1907)年に大仏殿修理の際に大仏の右ひざあたりの須弥壇から
いろいろと出土した刀や壷や水晶などは、鎮壇具(ちんだんぐ・地鎮のために
埋める宝物)と思われていて長らく奈良国立博物館に保管されていました。
それを新しく開館する東大寺ミュージアムに移す際に詳しく調査したところ
X線調査で刻まれた文字が読み取れて、その他の特徴と合わせて不明だった
陰陽の剣だとわかったそうです。
光明皇后が献納後数年でこの剣を持ち出して大仏のそばに埋めた理由などを
いろいろな研究者が考えていますが、「除物(じょもつ)」の張り紙をして
持ち出されている宝物は 全部で7点あり、このときの出土品の詳しい調査が
待たれるところです。
また古代の剣の話として、水野氏が長野でみつけた「三寅劔(さんいんけん)」
についても紹介してもらいました。
この剣には三寅劔の文字と仏像と北斗七星が刻まれていて、三寅劔の意味は
わからないけれど書体は古いもので、仏像研究者によると仏像の表現方法も
古い時代のもので、それだけではまだわからなかったところ、朝鮮史研究者から
半島に似たような刀が残されているということを聞いて、古代朝鮮の皇帝が
「寅の年・寅の月・寅の日(三寅)に作った刀は災いを避ける」という道教的な
信仰によって作らせたものが日本に奈良時代ころに伝わったものだろうと
わかったそうです。
今までにさまざまな発掘は進んでいるとはいっても、調査技術の進歩によって
昔は分からなかったことが分かるようになってきているし、これから先も
大発見がまだあるかもしれませんね。
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次回は第15回西宮博物館・資料館連携講座
「中世西宮町を掘る~西宮神社社頭遺跡の発掘調査~」 担当:西宮市立郷土資料館
2014年2月5日(水) 13:30~15:00 西宮市立郷土資料館2F講座室 聴講無料