阪神間の珈琲の歴史

大手前大学の2024年度前期公開講座 2024年4月13日(土)
「阪神間の珈琲の歴史」 大手前大学 海老良平
を聴講した感想を簡単にご紹介します。
(初回「阪神間の歴史とその特色」予定からの変更)

日本にコーヒーが入ってきたのは、江戸時代の長崎に多少はあったようですが、
明治時代になってからの居留地貿易がメインとなります。
神戸港から日本茶を輸出して、コーヒー豆を輸入し、日本で初めて店頭で
「焦製飲料コフィー」を提供したという放香堂は今も神戸元町にあります。

輸入先は江戸時代から交易のあったオランダの植民地である東インドが主で、
明治時代には輸入量はあまり増えず、おそらく在日外国人の為の高級な
飲み物だったようです。
それが大正時代にはブラジルやハワイなどからの輸入が増え、一般にも
なじみのある飲料になりましたが、それはブラジル移民がきっかけでした。

明治21(1888)年に奴隷解放で労働力不足になったブラジルは世界各国から
移住者誘致し、日本では皇国殖民会社とサンパウロ州が調印して明治41(1908)年
に日本からの移住が始まり、コーヒー農場での労働に雇われました。
ただこの移住事業は順調とは言えず、数年間無償でコーヒー豆の提供を受け、
その売り上げで事業を継続してゆくこととなりました。
そこで皇国殖民会社社長の水野龍は日本にコーヒー文化を広めるために
このコーヒー豆を安価で提供するカフェパウリスタを開店しました。

明治43(1910)年創業の銀座店が1号店と言われていますが、大阪箕面店が半年ほど
早かったと近年分かったそうです(閉店が早く存在が忘れられていたらしい)。
また宝塚や甲陽園にもあったそうで、甲陽園店は建物取り壊しのときに
見学に行きました。 → 西宮流2016.9.4.記事

今回の講座では大正8(1919)年のパウリスタの広告が紹介されましたが、
「コーヒーソーダ」を売っていたのが気になりました。
炭酸系コーヒーとは、コーラに似たような感じになるのでしょうか?


西宮はパンの町だと思っていましたが、スペシャリティコーヒー専門店が
最近増えていますし、これからはコーヒーの町にもなってゆくのでしょうか?

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