大池(甲陽園)

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大池

大正時代、大池周辺には温泉、旅館、社交場、劇場、活動写真上映館、撮影所、植物園、遊園地などがあり
「東洋一の大公園」と言われ 大変なにぎわいを見せた場所。

この開発時に、大池の浅い部分を埋め立ててグラウンドや歌舞練場ができた。
大正13年3月からは阪急電鉄が夙川駅から電車を通す工事を始め10月1日に甲陽線が開通した。

大池

1968年(昭和43年)には、大池がさらに埋め立てられ甲陽園小学校が建設された。
今は、静かな住宅地になっていて、池を一回りできる遊歩道もある。
池の西側には公園があり、春には枝垂れ桜がきれい。

大池のさくら
大池
遠くに目神山の住宅地や甲山が見える景観

1918年(大正7年)に本庄京三郎氏の「甲陽土地」が、「甲陽園」というレジャー施設を造った。
「東洋一の大公園」を目指し、遊園地や温泉、宿泊施設、劇場、撮影所などがあった一台レジャー施設だったが、そこにあった映画スタジオが「甲陽撮影所」の始まり。時代の流れで甲陽キネマ、東亜キネマ、極東映画、甲陽映画と受け継がれたようだ。
一番華やかだった東亜キネマ甲陽撮影所時代の所長は佐藤愛子の父・佐藤紅禄氏➡ がつとめていた。

1919年(大正8年)に建てられた本庄氏が設立した甲陽土地の事務所とカフェパウリスタ>>、ビリヤード場、たばこ屋などが入った建物が、後に個人の所有物となっていたが、2016年に老朽化で建て替えられることとなった。
この時の建物のお別れ会の時の様子がこちら>>

池の南側にはラクウショウ(落羽松)>>という、メタセコイヤに似た木がたくさんあり秋を彩る。

投稿日時 : 2020-06-21 23:11:15

更新日時 : 2022-10-06 20:56:16

この記事の著者

編集部|J

『西宮流(にしのみやスタイル)』の立ち上げ時からのスタッフ。
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