甲陽園の開発

甲陽園

西宮市のシンボルと言われる甲山。その南に広がる目神山と甲陽園地域は関西でも著名な高級住宅地として知られている。
この「甲陽園」は、東に早くから水田開発が行われた上ヶ原地区と、西に苦楽園温泉で賑わった苦楽園地区に挟まれた地域で、大正時代の中頃までは山林であった。

明治末年の甲陽園地区。甲山に神呪寺があり、南の大池までは山林であった。

甲陽園の開発は大正7年5月に結成された「甲陽土地組合」に始まった。社長は西尾謙吉氏、常務取締役に本庄京三郎氏が就任し、本庄氏が甲陽園開発を担当した。
同年11月に「甲陽土地株式会社」となり、まず土地取得から始められた。その規模は現在の“甲陽園”と冠する町すべてが含まれている。

地名の表示で(A)が頭に甲陽園の付く地名


開発時はまだ阪急電車の甲陽線は出来ていなかったため、阪神電車の香櫨園駅から乗合自動車で夙川を経由しないと来ることが出来なかった。
そのために、地域の開発はまず御手洗川沿いに道路を付けることから始まった。

香櫨園からの道路と乗合自動車

開発計画の概要は、目神山町に別荘、御手洗川より北に小学校・中学校、西山町に高等学校・女子小学校、新甲陽町には市場を建設し、大池周辺は遊園地に、その他を住宅地に設定した。
特に大池周辺は「甲陽公園」を中心に温泉、旅館、社交場、劇場、活動写真上映館、植物園、遊園地などを整備し、大変なにぎわいを見せた。
現在の大池公園に当時の公園の配置がわかる絵図が掲示されている。この絵図で甲陽公園を含む付近の配置を見ることが出来る。

大池に掲示されている甲陽公園周辺図
甲陽土地株式会社の建物と賑わう甲陽公園

ライバル会社の阪神電鉄が香櫨園から甲陽園までのトロリーバス路線の計画が出され、急遽対抗の為、阪急電鉄が夙川駅から甲陽園駅までの鉄道施設免許を申請し、1924年(大正13年)に甲陽線が開業した。

開通した甲陽線
甲陽公園の入口に甲陽園駅

大正末から昭和に入り甲陽園の開発も進み「甲陽園遊園地」の他に、著名人や財界人の別荘や、旅館・料亭等が建設されてますます好況を呈していた。

多くの人で賑わう甲陽公園・東門付近に並ぶ旅館・料亭。
小孫池にはボートや噴水があり、南に小孫旅館、北に〇長やつるやがあった

大変賑わった甲陽公園も、昭和に入り経済事情が悪化するとともに客足が遠のいた。昭和12年の地図では遊園地、植物園、甲陽劇場、甲陽倶楽部は残っているが、旅館甲陽館とカルバス温泉は姿を消している。

昭和12年・小孫池の周りには旅館・料亭

その後の恐慌と戦争への突入により、甲陽公園はその姿を消し、跡地は小学校やマンションに建て替えられた。
残されていた「はり半」や「甲陽土地」の建物も今は姿を消してしまっている。
詳しくは項目を分けて紹介したい。
甲陽園の開発に貢献した人の名前は現在も地名に残されている。
地域の中心地は本庄京三郎氏に因んで「甲陽園本庄町」と名付け、宅地造成分譲を行った若江音二郎氏の名をとって「甲陽園若江町」とした。
また甲陽園の高台の広壮な屋敷を構え、祝日などに甲陽園全住民にモチを配って、山の王様としたわれた山下祐三氏にちなみ「甲陽園山王町」と名付けている。

五月山から大池方面を望む・2020年

記事は西宮市の 【甲陽園】甲陽園の開発 甲陽公園(大正7年5月)更新日:2022年11月24日ページ番号:29758232” を参考に作成。
昔の写真は西宮市 歴史資料チームの提供による。

投稿日時 : 2023-08-28 14:53:24

更新日時 : 2024-03-04 07:38:11

この記事の著者

ライターT

西宮流(にしのみやスタイル)の中の『西宮ペディア』を主に担当しています。
西宮市の歴史や街並みに興味深々です。

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