旧甲陽園の料亭・旅館

甲陽園

旧甲陽園には数多くの料亭や旅館が並んでいて、今で言うと、人気の歓楽街という感じがする。
その最大規模の旅館は大宴会場を持つ「甲陽館」ではないだろうか?
甲陽館には250帖の大広間があり、500人の顧客を収容することが出来た。

甲陽園駅前通りからちょっと高台に大きな建物とその周りに多くの建屋があった

次に示す写真は甲陽館の250帖の大広間です。その次の写真は1935(昭和10)年に西宮港改修工事落成の祝賀会後、甲陽館で招待宴が開かれた時のもので、芸妓の長唄・常磐津・舞等が披露され、約550名が招待された。

250帖の大広間・どれだけ使用されたのだろうか?
西宮港改修完成後の招待宴
一度に550名の招待客を収容した宴会

現在甲陽館の跡地には住宅やマンションが建設されている。その正確な位置は把握出来ないが、次の写真の辺りに建っていたと思われる。

この左手に甲陽館が広がっていた
この階段は甲陽館に繋がっていたのだろうか

甲陽遊園地の東入口の北に子孫が池があった。現在は埋め立てられて住宅やマンションが建てられている。
池の南側にあった子孫旅館は現在も料亭「子孫」で、同じ位置にあり、ミュシュランの星を獲得している有名料亭である。
池の北側には北濱の「つる屋甲陽園支店」があった。この場所は現在マンション・アルス甲陽園になっている。

子孫が池の北側にはつる屋甲陽園支店があった
つる屋甲陽園支店の表通り
つる屋跡地に建つアルス甲陽園
現在も元の位置に料亭子孫が営業している

子孫が池の西側の道路に遊園地の東入口があった。下の写真の甲陽遊園の字が見える門が東入口になる。そのすぐ北側にある建物が旅館「菊水」で、一軒於いて北側の建物が旅館「〇長」になる。その北の白く見える屋根は「甲陽土地株式会社」の建物になる。
「菊水」のちゃわんむしや「〇長」のおすしは人気があったそうだ。

遊園地東入口北側並ぶ旅館「菊水」と「〇長」
現在の遊園地東入口はこの道路中央に・その北に旅館が続く
〇長旅館で宴会を楽しむ(昭和30年頃)
〇長旅館の跡に建つ住宅

阪急甲陽園駅を出ると直ぐに遊園地の西入口があった。
駅前を東北の方向に駅前通りがあり、「甲陽百貨店」や「花月旅館」、「つたや旅館」、「乙女茶屋」が並んでいた。

甲陽園駅前通りに並ぶ百貨店や旅館・茶屋
阪急甲陽園駅を出ると直ぐに遊園地西入口があった
遊園地西入口の跡地
現在の甲陽園駅前通り・右端に甲陽百貨店があった

駅前通りを北東に行くと甲陽土地株式会社の建物がある。その北側に煙突が見える位置に「カルパス温泉」があった。
温泉の名前があるが、現在のスーパー銭湯のようなお風呂だったのかも知れない。

甲陽土地株式会社の北にカルパス温泉の煙突が見える
カルパス温泉の入り口
カルパス温泉の入り口内部
カルパス温泉の浴室
カルパス温泉の跡地に建つビルは解体中

甲陽公園で、少女歌劇や活動写真を見て、甲陽遊園地や小動物園、植物園で遊び、料理旅館や料亭で食事をし、カルパス温泉で疲れを癒し、日帰りも宿泊もできる。
一日楽しむことが出来る甲陽公園は、当時では人気のテーマパーク的な存在だったのかも知れません。

旧甲陽公園地区から少し北東の方に外れるが、甲陽園の高級料亭として著名だったのが、「はり半」だ。

 播半は平成17年まで甲陽園の地にあった高級料亭です。大正年間に当主がこの地に別荘を建てたのが始まりです。料亭として開業したのは昭和に入ってからです。
 敷地内にある自然遺産とまで称された渓谷、美しい庭園と日本の四季を感じさせる懐石料理が多くの財界人、文化人に愛され、昭和天皇・皇后も訪れています。

【甲陽園】甲陽園の開発 甲陽公園(大正7年5月)西宮市ホームページ
はり半は別荘としても、料亭としても目を見張る規模だった
庭園にかかる立派な橋
表通りのはり半入口はとても簡素
絵葉書に見るはり半内部
はり半の跡に建つ大規模マンション

甲陽園に関する詳しい資料が少なく、主に西宮市が発行している次の記事を参照した。
【甲陽園】甲陽園の開発 甲陽公園(大正7年5月)
また、昔の写真は西宮市歴史資料チームの提供による。

投稿日時 : 2023-09-08 09:48:30

更新日時 : 2024-03-04 07:45:31

この記事の著者

ライターT

西宮流(にしのみやスタイル)の中の『西宮ペディア』を主に担当しています。
西宮市の歴史や街並みに興味深々です。

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