1907(明治41)年大阪・北浜の砂糖商人、香野蔵治が櫨山(はぜやま)喜一と共に、現在の阪急夙川駅付近一帯に開拓した遊園地が「香櫨園遊園地」で、その名は両氏の姓を一文字ずつ取って命名された。
関西最大の遊園地だった香櫨園は約10万坪の広大な敷地に動物園や植物園、音楽堂、ゑびすホテルなどを建設、内殿池(現在の片鉾池)にはウォーターシュートも開設した。模型飛行機大会や関西で最初の日米野球試合など多彩なイベントを開催。当時の最先端を行くレジャー施設だった。
開園当時から経営に参加していた阪神電鉄は、1905(明治38)年の大阪-神戸間営業開始の2年後、遊園地開設に合わせて「香櫨園駅」を開業した。沿線開発の一環として、阪神も遊園地経営に参画し、動物園などを直営した。
1910(明治43)年秋には日本国内では初開催となる日米野球のために、僅か2週間で野球用のグラウンドを急造した。早大が当時アメリカ中西部で最強と言われたシカゴ大学を招いて当地で3日間試合が開催された。
遊園地の盛況は短く、開設から6年の1913(大正2)年に閉園する。遊園地とほぼ同じ頃、阪神は海岸に「香櫨園海水浴場」を開き、遊園地にあった博物館や奏楽堂(音楽堂)などを浜辺に移した。
遊園地の跡地は、英国の貿易会社などを経て、1917(大正6)年に関西の不動産会社が取得し、宅地開発に乗り出す。阪急電鉄の前身 「阪神急行電鉄」が、遊園地跡地の北東部に「夙川駅」を設けたのは、1920(大正9)年の阪急神戸線開通時だった。
現在、片鉾池の傍らに池に張り出すような形で松下幸之助氏が寄贈した「夙川公民館」が立っている。
阪神電鉄は香櫨園遊園地開業と同時に夙川河川上に「阪神香櫨園駅」を開業した。ここから徒歩や人力車等で遊園地や山麓にある「苦楽園温泉」等に訪れた。
香櫨園遊園地閉園後も開業した香櫨園海水浴場や甲陽園、苦楽園等への旅客で賑わった。
1929(昭和4)年に建てられたこの駅舎は2001(平成13)年、今津ー香櫨園間の高架化により現在の駅舎に建て替えられた。
現在の改札口前には右から左へと書かれた駅名やその説明版が設置されている。
駅周辺の夙川オアシスロードは桜の名所、のんびり散歩するのは気分爽快。
昔の写真は西宮市歴史資料チームの提供による。