軍医総監を休職後、菊池常三郎氏は兄菊池篤忠氏が院長を務める大阪回生病院外科部長となり、1907年(明治40年)7月15日には「西宮回生病院」を創設し初代院長に就任した。
日露戦争後、夙川の東側に家を建てた菊池氏が近隣の人々にぜひ診察してほしいと頼まれ、夙川西側に病院を建てて診察にあたったのが始まり、と言われている。
この年は夙川沿いの片鉾池に「香櫨園遊園地」が開業し、阪神電鉄の「香櫨園駅」が開業した年でもある。
最初はモダンな尖塔のある二階建ての建物だったが、1934(昭和9)年の室戸台風の高潮で流失した。
その後も、西洋のお城のような建物になったが、取り壊しが決まった本館は、戦災を免れるなど当時の面影を残してきた。
1995年の阪神淡路大震災で一部被災したが、同病院が補修などを行いながら保存を図ってきた。
1983(昭和58)年には老朽化のため、東病棟のうち御影石の柱とドーム型の玄関部分を残して建て替えられた。
建て替え後も玄関と本館が昔の姿を残していたが、老朽化により2015(平成27)年惜しまれながら建て替えられた。
西宮回生病院は野坂昭如氏の「火垂るの墓」 や村上春樹氏の「ノルウェイの森」「めくらやなぎと眠る女」などの作品にも登場している
昭和初期に建てられた、円弧状の構造が特徴の木造一部2階建ての近代建築。野坂昭如原作の「火垂るの墓」では清太と節子の兄妹の母親が入院している病院とされ、アニメ映画では兄妹が海で遊んだ後のシーンに玄関や本館病棟などが詳しく描かれて登場する。
西宮回生病院は地域の中核となる病院として、人々の健康を守っている。
古い写真は西宮市歴史資料チーム提供とお別れ会に展示された写真を使用。