JRの線路の下をくぐる水路の上に作った、やっと人が通れるほどの小さなトンネルを通称「まんぼう」という。
まんぼうは、明治7年に国鉄(現在のJR)が開業する際に線路の盛り土の下を
用水路が流れるように作った小さなトンネルで、その後に人が通れるように水路の上に蓋をしたり、人が通れる適当な大きさに作り変えたものをまんぼうトンネルというようだが、西宮には3つものまんぼうが残っている。
(マンボウ・・・はオランダ語のマンプウから来たようだ。)
車が通れないで人が通れるJRのマンボウトンネルは、甲子園口>>と平松町の細雪>>と大谷道>>の3箇所。
谷崎潤一郎の小説『細雪』にも出てくる平松町のマンボウ。
細雪に出てくる4姉妹の末っ子の妙子の恋人・奥畑が「一本松」のそばに住んでいたことになっている。
この奥畑っていう名前は、少し北の奥畑っていう地名からとられていると言破れているが、細雪の中で谷崎潤一郎氏がマンボウのことについて記述している>>。
このマンボウ より西、西宮市のほぼ西の端にあるマンボウトンネルは「東皿池拱梁」とか「大谷道」と言われ、通称「大谷マンボウ」。
このねじりマンボウ の「大谷道」のことはこちらの記事も参考に>>
市内で一番小さいマンボウトンネルが、甲子園口駅の西側にある。
ここは、人が屈んでやっと通れる大きさ。
南北からトンネルに入る時には、まずはトンネルを覗き込んで人がいないことを確かめてから入らないと、途中ですれ違えない。
ここのマンボウは、北側と南側の入り口の形が違う。
大正15年の複々線工事のときにトンネルを伸ばしたことで、北側は半円、南側は四角い入り口となったようだ。