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かつて産地だった船坂に寒天の名残を求めて

船坂の寒天

船坂がかつて寒天の産地だったということはいろんな機会で聞いており、西宮流のサイトの中でも船坂をこんな風に紹介したりしている。
『船坂では、太多田川が造った礫質の河岸段丘での畑作農業が盛んで、とりわけ 標高約400mの高地の昼夜の温度差の大きい気候の船坂では 甘みの多い野菜が栽培される。昭和50年頃までは、パセリの産地として有名で大阪の台所を支えた。
また、六甲山から吹き下ろす冷たい風を利用した寒天づくりも盛んなところで、 明治18年頃から始まり昭和初期にピークを迎え、平成10年頃を最後にすべての工場がなくなった。』

今、旧船坂小学校跡施設を中心にした 地域づくりのために様々な取り組みが始まっているが、地元の方々が中心になって今年4回目を迎える「西宮船坂ビエンナーレ」は、10月19日から始まる。

そんな取り組みのお手伝いをさせていただいていて、改めて『船坂の寒天』の事を勉強しようと船坂へ。

昔、寒天工場で働いたことのある方から、船坂で一番最後まで寒天工場をされていた方にまでつないでいただいて、かつての工場の中を見学させていただきました。
船坂の寒天 船坂の寒天
懐かしい道具に出会うと、やっぱりワクワクするんですね。昔の道具を懐かしそうに手にとっておられました。
これらは、寒天になる前の 固まったもの(ところてんの材料)を切ったり、糸寒天にするために突くものなどだそうです。
職人の手で使いこなされた道具の持ち手は、どれもすーっと手になじんできてくれました。

船坂の寒天 船坂の寒天
寒天の材料の天草が入っていた袋が山積みになっていたり、水で洗った天草を漬けておく水槽の一部には、今でもきれいな水が流れ込んでいました。
寒天を作るためには4種類ぐらいの天草を混ぜていたそうですが、それらのレシピは当時の親方の頭の中だったそうです。
船坂の寒天 船坂の寒天
大きな釜で天草を煮て それを袋で濾してフネに流し込みます。
固まったものを 一定の大きさに切り それを突いて葦の棚の上で一週間から10日ほど夜に凍って昼に乾くということを繰り返して、寒天が出来上がります。
昼過ぎから、この大釜で煮た天草は、そのまま翌朝5時ごろまで置いておいても熱かったといいます。
船坂の寒天
寒天工場の前に広がる棚田。この工場では、船坂で一番最後(平成9年の冬)まで操業されていたといいます。ここが、寒天干し場になっていたんですね。

日本全国で作られる寒天は、その場所ごとに天草の配合が違うので、100種類ぐらいになるそうです。
食物繊維も豊富で、素材の味を邪魔することなく固めてくれる寒天は、食の名脇役だといわれています。
この寒天が、今後の船坂の活性に一役買ってくれるのではないかと、勝手に夢見ながらお話をお聞きしました。

 

 

 

 

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