調査団 古文書班・151125・印判師

律令時代に中国の風習で官印(役所名の印・金印の漢委奴国王のような四角くて
大きめのイメージ?)が伝わって古代日本でも使われるようになるが、官印に
書き添えた個人の名前の自署から発展した花押(かおう)が主流となるそうです。
その後戦国時代の武将たちは発行する文書の多さからか花押の他に個人印も
つくって使うようになそうです。

そして江戸時代には武家などでの重要な文書には花押が残るけれど個人印が
一般的となり、庶民は画指・手印・拇印・筆軸印・爪印などののち、戸主が
印(姓名とは直接関係ない文字が多い?)を持つようになり、明治時代には
官印の使用が復活し、個人は個人名(苗字)の判子を持つようになって、
今に至るようです。

で、今かかわっているのは江戸時代の庶民の判子ですが、多くの人が持つように
なると判子を作る商売も一般的となってくるのか、元禄3(1690)年発行の
「人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)」というあらゆる身分や職業を図解した
事典のなかにも印判師(いんばんし)が紹介されています。

人倫訓蒙図彙細工人部印判師x

参考文献
「印判の歴史」石井良助 (明石書店・1991年)
「はんこと日本人」門田誠一 (大巧社・1997年)

 

 

-活動日2015.11.25.(水)  団員5名+学芸員1名 郷土資料館にて-

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