公開インタビュー「岡太神社宮司に聞く」2014年11月30日(日)という講座が
鳴尾図書館であったので聞いてきました。
郷土資料館の学芸員さんがふだん民俗学などの聞き取りに行った時の様子を
一般の人の前で見てもらおうということで、学芸員さんが宮司さんにいろいろと
質問をしながら情報を得て行く形式でお話が進みました。
中でも今回の主題は、秋祭りに行われる一時上臈(いっときじょうろう)です。
平安時代からというこの祭りは旧暦の9月9日~11日に行われていましたが、
明治に新暦になってからは月遅れの10月9日~11日に収穫祭である秋祭りを
行うようになったそうです。
その時に祭事のいろいろを担当するのが北講と南講に分かれた地元の氏子で、
各講中十数軒の中から頭屋(とうや)といわれる当番を毎年一軒決めていました。
頭屋の家に集まって幣(へい)の一種の蓋(かい)という紙飾りを作ったりして
祭りの準備を始め、祭りの日には供物を入れた唐櫃に蓋を飾ったものを
頭屋の家から行列を仕立てて神社へ奉納していたそうです。
ただ世の中の変化に伴い、自宅でそれだけの場所が取れないということなどから
頭屋の家で作られていた蓋も神社の社務所を借りて作業するようになり、そのまま
祭りの日まで神社に保管されるようになったので、頭屋の家から行列をして
奉納することも昭和45年頃にはなくなったそうです。
このように昔ながらの講による祭りの維持も大変になったので一時上臈保存会が
作られ、昔の講の家だけでなく新しい家も加わって神事は続けられていますが、
聴講者の中から「歴史あるお祭りだから何年かに一度とかでも行列が復興されたら
いいですね」という意見もありました。
今回、蓋の実物を見せていただいたり、供物の内容についてもお話がありましたが、
干ばつに強い早生の米や、飢饉のときの助けになる栗・柿・柘榴などの各家が庭に
植えているような果物を供える決まりはあるけれど、不思議なことに川も海も近い
鳴尾にあるのに魚を供える決まりがないなど、興味深いお話を聞くことができました。