本名が下村宏。海南は歌人としての号。
終戦の玉音放送に深くかかわったひと。
下村海南(下村宏)は1921年、大正10年9月に朝日新聞入社と同時に、苦楽園五番町に1500坪におよぶ広大な邸宅を構え、自身の雅号と故郷紀州が見えるところから「海南荘」と命名した。
約15年間ここに住んだが、その間、九条武子、中村憲吉など多くの歌人や文化人を招いて歌会を催したという。
この歌碑は、後に海南が東京へ転居したあと、そこを買い取った堀抜義太郎氏によって昭和12(1937)年に建てられた。
碑には海南自筆の歌が刻まれている。
『眼ざむれば 松の下草刈る鎌の 音さやに聞ゆ 日和なるらし』
邸宅跡は今は住宅地となり、その一角にある公園に歌碑が設置されている。
場所:西宮市苦楽園四番町