2018年(平成30年)2月13日に、甲山町に所在する「徳川大坂城東六甲採石場・甲山刻印群」の一部が、「大坂城石垣石丁場跡 東六甲石丁場跡」として国史跡に指定された。
西宮での新しい国史跡としては、1922年(大正11)年に「西宮砲台」が国史跡に指定されてから約100年になる。
「徳川大坂城東六甲採石場」とは、徳川幕府による大坂城再構築(元和6年〔1620〕~寛永6年〔1629)にともなう石切丁場で、西宮から東灘区にかけての六甲の前山に点在しているが、今回、兵庫県甲山森林公園内の石切丁場跡が良好な状態で現地に残されていることから指定に至った。
江戸時代に大阪城再建に使われた最大規模の採石場。
平成24年から28年にかけて「三次元航空レーザー測量」など、最新技術を駆使して詳細な分布調査を実施し、29年には国に史跡指定の意見書を出し、平成30年2月13日に史跡指定が下りた。
「まもる・いかす・つたえる」を掲げた西宮市の文化財保存活用が認められた形となった。
これらの場所では、当時の大名が競って砕石を行い、各藩の印を石に刻み込んでいる。
多くの石は大阪城に運ばれたと思われるが、西宮の苦楽園から森林公園あたりにかけては、運び出されずに残された石を見かけることができる。
大阪城まで運ばれなかったことから『残念石』と言われたりもしたようだ。
市内には、現在8か所の史跡がある。
西宮砲台(大正11年)、青石古墳(昭和49年)、五ケ山古墳群・第二号墳(昭和49年)、関西学院校内古墳(昭和49年)、上ヶ原用水路(昭和56年)、老松古墳(昭和56年)、具足塚古墳(平成29年)、大坂城石垣石丁場跡 東六甲石丁場跡(平成30年)