下村海南は大正10年9月朝日新聞入社と同時に、苦楽園五番町に1500坪におよぶ広大な邸宅を構え、雅号と故郷紀州の見えるところから「海南荘」と命名していました。後に海南の屋敷跡を買い取った堀江氏によって、昭和12年に海南の直筆の歌碑が建てられたようです。
歌碑があったところは公園となり、今ではすっかち住宅地に変貌しています。
- 日々コレ西宮
- 1月30日:西宮市苦楽園四番町にある下村海南氏の歌碑
下村海南は大正10年9月朝日新聞入社と同時に、苦楽園五番町に1500坪におよぶ広大な邸宅を構え、雅号と故郷紀州の見えるところから「海南荘」と命名していました。後に海南の屋敷跡を買い取った堀江氏によって、昭和12年に海南の直筆の歌碑が建てられたようです。
歌碑があったところは公園となり、今ではすっかち住宅地に変貌しています。