「香櫨園小学校」は夙川の東側にある、西宮最初に出来た「浜脇小学校」の中で、1957(昭和32)年9月に分離開校された。近隣のマンション建設による生徒数の急増に対処するためであった。
翌年1月に開講式が行われ、3年生以下8クラスが新校舎に移転した。
この時に初代校長の竹村賢造氏を先頭に山羊2匹と共に歩いて引越したと言われている。
校舎建設の第一期と第二期工事が終了した時点で開校しているが、その後1975(昭和50)年の第8期工事まで行われ、その後平成末期から全面改築が行われ、平成元年に完成している。現在は生徒数が西宮市でも最も多い小学校の一つとなっている。
⾹櫨園⼩学校が、開校した翌年の1958(昭和33)年3⽉5⽇、当時の「横綱千代の⼭」の⼟俵⼊りが校庭で⾏われた。当時⼩学校正⾨の前に居宅(現在の西宮市大谷記念美術館)を構えていた、もと相撲取りの昭和電極社長・大谷竹次郎⽒の好意で、⼤相撲⼤阪場所で来ていた横綱⼀⾏が⾹櫨園⼩学へ招かれ土俵入りが行われた。 その時は運動場に⽯灰で土俵を描き横綱⼟俵⼊りをしたが、このあと⼤⾕⽒からの寄贈で、同年5⽉17⽇本格的な櫓つきの⼟俵が校庭に完成した。
開校時に作られたり植えられた『友愛の鐘』や『立志の木』は、今も子供たちを見守っていた。友愛(you I)には、みんなが仲良く力を合わせてがんばりましょうと願いが込められていた。
香櫨園小学校は小説家「村上春樹が第一期生として卒業した」ことはよく知られている。
「夢のサーフシティー」の中で述べられているエピソードとして次のように述べられている。《僕が⼩学⽣のころ、兵庫県⻄宮市⽴⾹櫨園⼩学校では秋になると、給⾷にときどき「まつたけうどん」がでました。もちろん本物のまつたけ(けっこう⼤きい)が⼊っていて、だしには⾹ばしい松茸の⾹りがしました。うちの奥さん(東京⼩⽯川出⾝)にその話をすると「嘘だよ、そんなの」と⾔うけど、ほんとなんです。』
その当時関西では松茸が豊富に出回っていたようだ。うらやましい話だ。
昔の写真は西宮市歴史資料チームの提供による。