遠藤周作の生誕100年(2023年3月27日)を記念して

仁川

2023年3月27日が遠藤周作の生誕100周年になるという新聞記事を見つけて、これまでの西宮流の記事を改めてまとめてみた。

遠藤周作は、1935年に夙川のカトリック教会で洗礼を受けており、小説のテーマとしてキリスト教を取り上げ、カトリック夙川教会が出てくる作品も多い。

1955年の「白い人」で芥川賞を受賞した遠藤周作は、キリスト教を主題にした作品が多かったが、晩年の「狐狸庵(こりあん)」の雅号でのユーモア小説も人気だった。

西宮文学回廊の『遠藤周作』→

遠藤周作は1923年(大正12年)に東京で生まれ、1926年(大正15年)には父の転勤で満州の大連へ渡った。
しかし10歳の時に父母の離婚により帰国し、帰国後は母は小林聖心女子学園の音楽教師となり、夙川や仁川に住んだ。

エッセイ『夙川の教会』の中で・・・・『少年時代の私の心の風景はほとんどこの夙川の天主公教会に結びついている。少しうすよごれたクリーム色の建物。庭や門のそばにあった夾竹桃の花。司祭館のバターの匂い。そして「はい」と無自覚に答えたあの復活祭の日曜日。だが、無自覚に答えた誓いがその後、芽を出し、葉をつけ、私を苦しめなじめたのだ。少年時代の私の虚栄心や鑑賞やきたならしさも、この教会に結びついている。そのためであろう、私は今でもあの教会をふたたび訪れることがこわい気がする。』

カトリック夙川教会
カトリック夙川教会

そして遠藤周作が愛したのは阪神間の風景、特に仁川だったようだ。
<ぼくは東京で生まれ、今も東京に住んでいるのだが、どうしたものか関東の風物になじめない。武蔵野のほこりっぽい、そして真黒な地面の色が性格に合わないかもしれぬ。そんな時、ぼくは阪神の陽にかがやいて白く反射する花崗岩質の地面がたまらなく懐かしくなるのである。エッセイ集『異邦人の立場から』に収められた「仁川の村のこと」より>

水のない時の天井川の仁川

『ぼくは夢で ―夢の中ではあるが阪急電車の西宮北口から見える六甲山の色彩や、甲山のたたずまいや、そこに散らばるクリーム色の住宅地を今でもよく見ることがある。だが、そうした阪神の風景のなかでも、ぼくが最も愛しているのは阪急宝塚線の沿線の風景だ。』と阪急今津線沿線のことを振り返っている。

西宮には多くの作家が住んだが、その中の一人甲南女子校に通っていた佐藤愛子と、灘校に通っていた遠藤周作とは接点があったようだ。
エッセイの中で『通学電車で乗り合わせた彼女は我々のマドンナ的な存在だった』と書いている。

西宮に縁のある作品を集めた『西宮文学回廊』はこちら→

投稿日時 : 2023-03-26 17:17:22

更新日時 : 2023-03-26 17:17:23

この記事の著者

編集部|J

『西宮流(にしのみやスタイル)』の立ち上げ時からのスタッフ。
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