坂の街、苦楽園は山裾に広がる傾斜地にある。それだけでなく、下記の地形図にあるように、小さな隆起が多数あり、複雑な地形となっている。
この地に明治の終わりにラジウム温泉が開発され、あちこちに旅館やホテル、別荘等が建てられ、たいそう賑わった。
その後大雨による風水害により、温泉の枯渇や景気の悪化、戦争の影響等により、再び静寂な森に戻った。
しかし、戦後の経済復活と好景気を迎え、別荘地として文化人や有名人が居を構え、眺望の良いことも好条件となり、高級住宅街として復活し、人気の街となっている。
この特徴を良く表現しているのが、温泉があった当時のこの地を開発した案内図。
戦後、この地が住宅地として再開発され始めた頃の住宅地の景観は、次の写真のようであった。
温泉地や別荘地であった時代の古い建物は殆ど取り壊されて、その跡に新しい住宅が建てられているため、より複雑な街、道路を形成している。
古くから形成されている街には、寺や神社が見られるが、唯一苦楽園神社のみが残されているのではないだろうか?
現在は、越木岩神社の境外末社となっているが、古くから地域の方々に祭られていた神社で、国龍命・清瀧龍王、また南無阿弥陀仏と彫られた石碑には豊受大神・三玉大神・蚕玉大神などの神様の名が記されており、お地蔵様も祭られている。
口伝では、国龍命・清瀧龍王が祀られているのは、苦楽園神社を挟んで北側に滝があり、南には池があったために、その滝をお祀りしたのが起源と言われている。
苦楽園ラジウム温泉は現在の苦楽園バス停がある三笑橋付近を中心に多くの旅館・ホテル・別荘が建てられていた。
苦楽園地域の幹線である苦楽園筋も複雑に曲がっていて、慣れていない私が歩くと、迷ってばかりだった。高低差のある街にしては見晴らしの利く場所が見つからず、全体の景色を写真にすることが出来なかった。
写真から街の様子がつかめないかも知れないが、またよい季節に再度歩いてみたいと思っている。
だが、住むための環境は抜群で、静かで空気の綺麗な街であるとの実感は得られた。
昔の写真は西宮市歴史資料チームの提供による。