江戸時代からある用水路の水が西宮の田畑を潤してきた。
市内にあるそんな用水路の一つが江戸時代初期にできた百間樋(ひゃっけんび)。
1560年(永禄年間)に作られた水路。
当時武庫川の対岸の村との水争いがあり、そのころに天井川の仁川の下をくぐって水路(樋)が作られ、その樋(水路)の長さから『百間樋』という名前になった。(100間=約180m)
取水口がある場所は県立阪神特別支援学校あたりになり、今もここから百間樋川に流れているが最初は暗渠になっていて、水と出会えるのは通称『かえる公園』と言われている百間樋公園の南側からとなる。
正確にいうと百間樋公園の南側では、百間樋川と富倉川に分かれて流れていく。
百間樋川は段上・上大市・下大市・高木・門戸を流れ、最後は津門川に合流する。
かえる公園の少し南から段上町あたりの百間樋川沿いは、阪神淡路大震災の後遊歩道が設けられているエリアがあり、地域の方々の憩いの場となっている。
遊歩道になっている
津門川に合流する途中、甲武中学校の西側を流れていくが、そこに残る取樋(花崗岩製)に「字三拾六 高木村用水取樋」と彫られている石が積まれている。
百間樋川についてはこちらの記事もご参考に➡︎
『ぽっつ君の西宮散歩』での百間樋川についての記事はこちら➡︎