アンコ樋跡

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武庫川河川敷の甲武橋から南に200メートルぐらいのところに『アンコ樋跡』という甲東文化財保存会の立て札の横に 石で作った何かの基礎のようなものがある。
場所は、樋口町あたりの河原になる。

アンコ樋跡

この樋は“アンコ樋”といい、江戸時代に、武庫川から農業用水として取水していた樋の一つである。元禄七年(1694)に描かれた上大市部落有文書の絵図「武庫川下流域水路図」に出ている。この水は武庫川の堤防をくぐった後、堤防横を流れる新堀川の上を樋で通し、現在の甲武中学校南付近で井筋に合流していた。水はさらに下流の津門、今津の田地を潅漑していた。
        <甲東文化財保存会>

江戸時代にこの辺りから、武庫川の水を畑に引くための樋が作られ、甲武中学校南付近の井筋で合流していたようだ。

江戸時代の宝暦年間(1751~1763)に、武庫川の水を正確に分水するために洽(こう)と呼ばれる水利施設が農業用水路に設けられたようで、これを適正に配置することにより、井組(ゆぐみ)全体の分水システムが実現されたという。
江戸時代には、武庫川両岸に十二の井組があったようで、西宮に関係するのが百間樋井・アンコ井・枝川井のようだ。
          山魚(yamauo)のホームページより➡︎

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