昨年、西宮市が観光元年と位置づけて取り組みはじめた「西宮まちを旅する博覧会(通称:まちたび博」。その本番が、いよいよ今年の秋、9月15日から繰り広げられる。
昨年の「西宮まちたび博プレみや」のガイドブックの他、西宮のいいもの発信情報誌「にしのみやげに」、西宮まちあるき情報誌「うぶすな」、商工会議所発行の「特選品 にしのみや」そして今年の本番のガイドブックなど、いろいろな冊子が発行されている。
そのメイン写真を任されたのは宮っ子の若いカメラマン。その素顔を取材させていただいた。
サッカーに明け暮れていた少年がどうしてカメラに??
「小学校では全国大会に出場する西宮の強豪チームでレギュラーとしてプレーし、高校卒業までサッカーばかりやっていました。でも、大学ではサッカー部に入らなかったので、急にぽっかりと時間が空いてしまったんです。そんな時、なにか時間を有意義に使えて自分のプラスになるモノを始めたいと思って写真を撮り始めました。」
「もともと絵は嫌いな方じゃなかったんですが、学校での点数としてはあまり良いほうではありませんでした。そんな想いが心の片隅にあったんでしょうか、僕にとって絵は難しくても写真なら撮れるんじゃないか??って思ったんです。」
今になって考えてみるとずいぶん無謀な考えだったと思うと振り返るが、でもその無謀が今では職業となっている。
学生にとっては高い趣味だったのでは??
「とにかく最初は、小遣いで買える範囲のカメラを探しになにも分らないまま中古のカメラを置いている店に通いました。そこで、ミノルタのSR-1というカメラが目にとまりました。このカメラはどんなカメラ??ってお店の人に尋ねたら、何を撮りたいんや??って聞かれたんです。」
「とにかく、背景がぼけている感じの写真が撮りたかったんです。まずは、格好から入ったようなものですね(笑)」
何事でも、格好から入る・・・、真似から入る・・・のは常套手段の一つではある。「その写真なら、SR-1が良いよ!!」と教えられて手に入れたカメラが、初めてのマイカメラ。
写真はどうして勉強したの??どんな写真に憧れたの??
「まだ、デジタルカメラが出始めた頃だったので、フィルムのカメラでスタートでした。僕、やり始めたら突進するタイプなんです。かなり使ったかな??一年半位でそのカメラはつぶれちゃいました(笑)」
現像代もかかるから、普段は街のDPE屋さんに出してせいぜいL版。
たまに少し大きいサイズで写真にして、友人に見てもらったりしながら独学で勉強した。
「花なら花で、フイルム何ロール分も撮りましたね。」
「でも、ただシャッターを切っても、自分が思い描いているような写真にならないんだと言う事を知りました(笑)」
光を楽しむ感じの写真を頭に描いていたが、出来た写真を見て見事に打ちのめされた。
それでも、一つの事にのめり込むタイプだった事が功を奏して、とにかく商業写真の雑誌をお手本に撮りまくったという。
カメラマンとして生きようと覚悟したのはいつ頃??
「就職活動をするようになって、この業界を考えましたが、アシスタントとして、どこかでみっちり実績があったわけでもないので、就職は難しかったです。」
観光地で写真を撮る仕事が見つかり、卒業後は飛騨高山へ。
しかし、そこでの撮影をするにつれ、自分の撮影したい方向性ではないと思い、後のことも考えず辞めてしまった。
「僕が撮りたいのは広告写真だと確信したんです。」
そんな時、とある印刷会社のホームページを見ていたら、なんとアシスタントを募集していた。
「すぐにエントリーシートを出しました。本当にタイミングが良かったんだと思います。ここが、僕がカメラマンとしてやっていく転機になりました。」
しかし、ひそかに持っていた自信はすぐにペシャンコに・・・。
それでも、アシスタントとして仕事をしながら商業写真を撮る工程を体で覚えていった。
もっと専門的な事も学びたいという気持ちも大きくなり、入社半年後ぐらいから仕事の休みを利用し専門学校に通い、もう一度基礎から勉強し、さらに高度な技術を身につけた。
「ただ、専門学校での勉強より、やっぱり現場での仕事の方が勉強にはなりましたね。
それでも、専門学校で仲間ができたのは大きかったです。
出会った仲間と大阪にスタジオを立ち上げる事になりましたから。」
「結局3年半くらいそのスタジオにいましたかね?」
独立して、今までとは違い全て自分の責任で仕事をするということは楽ではないけれど、お客様の評価とストレートに向き合えるのがうれしいと言う。
いい事もあり、悪いこともあり、噛み合わない事もあるけど、
すべてが自分の責任、すべてが自分の力・・・それが自分で選んだ道。
今回、西宮に関係するお仕事だけど、やっぱり思い入れがある??
「偶然な繋がりの延長線上で、今、西宮に関わる仕事をさせていただいています。
自分が生まれ育った街での仕事ですから本当にうれしいです!!力も入ります!!」
自分が育ってきた街「西宮」と「観光地」というイメージは結びつかないけど・・・と言いながらも、いざロケに出てみると生まれ育った街でありながら知らないところがいっぱいで、写真を撮りながら『すげエ〜』の連続だった。
「今回たずさわらせて頂いた「まちたび博」には、個人ではなかなか体験できない事や、見つけられない名所など、この街の魅力をおしみなく発揮されたプログラムが用意されています。
僕もガイドブックの撮影でロケを回らせて頂いたときに感じた感動や新しい発見を皆さんにも知っていただきたいですね!」
「西宮の仕事をして、改めて素敵な被写体がいっぱいある事を実感しています。
技術はもちろん、フットワークの軽さや人柄など、様々な要素を含んだ上で僕の写真を信頼していただいて、この地元での仕事ができたらうれしいと思っています。
西宮でカメラマンと言えば、森裕人!!ってなるように頑張ります!!」
一緒に仕事をさせていただいた事もあるが、クライアントとの事前打ち合わせにも力を抜かない。
デジタルの時代になったという環境の変化もあり、以前のようにクライアントからの事前の細かい指示が少なくなっている。だからこそ、クライアントの感じているイメージをどこまで感じられるかが大きいポイントとなる。
クライアントの求めている表現を追求して、
どのようにシャッターを切るか・・・、
どのようにストロボを焚くか・・・。
満足の笑顔に出会えるための努力は惜しまない。