関西学院大学がここ上ヶ原に移転したのは1929年。
正門前の道(学園花通り)から時計台、甲山という一直線の軸を中心に考えてヴォーリズ建築が配置されている。
当時は、現在の上甲東園一体は、大阪で不動産業を営む芝川家の果樹園が広がっていた場所。
阪急の甲東園駅から関学へと続く道は、この頃、果樹園に行くための道として作れていた芝川家の私道だった。
この果樹園の名残が、現在の甲東梅林➡︎
桜が「市花」である西宮には、桜のきれいなところが多い。
関学前のこの通りも関学の時計台や甲山を借景にしたさくらの名所の一つで、絶好の写真ポイント。
道路に愛称をつけるという市の事業で、関学の正門前に東に通る道に「学園花通り」という名前がついた。
さらに2014年からは、市の無電柱化の一環で「学園花通り」の電柱の埋設工事がされて、電線がなくなった事で写真スポットとしても、その景観が一段と飛躍した。
市の無電柱化の計画➡︎
その後令和2年6月1日からは、関西学院周辺が景観地区に指定された➡
実はこの学園花通りの桜は、昭和28年に上甲東園に引っ越してこられた元・西宮署長だった林勇さんが、こつこつと自費で植えられたもの。
そしてその林さんの娘さんは、1990年まで関学前で『みちくさ』というお好み焼きをされていた。
その時の桜が、60年の年月を経て見事な桜並木となっている。
<このことを知った関学の杉原学長が音頭をとって、2010年3月28日に「みちくさ」の同窓会をされた時の記事と写真>
桜が市の花である西宮は、桜のきれいなところが多いのですが
関学前の、『学園花通り』も関学の時計台や甲山を借景に名所の一つですね。
あの桜は、昭和28年に上甲東園に引っ越してこられた
元、西宮署長だった林勇さんが、こつこつと自費で植えられたもの。
それが、60年近い年月を経て、西宮でも隠れた桜の名所の一つとなっている。
林さんの長女の野橋節子さんは、現在は、千葉にお住まいだが
1990年まで、関学前で『みちくさ』というお好み焼きをされていた。
昨年、NHKの取材でこの桜のいきさつを知った関学の杉原左右一学長が呼びかけ、学生時代『みちくさ』でお世話になった約40人が集まった。
千葉から野橋さんも駆けつけ、桜はまだ3分咲きといったところだったが、西宮にお住まいの野橋さんのご次男家族もいっしょに花を見上げた。
杉原学長も『みちくさ』にお世話になった一人。
懐かしい昔話に話が咲いていた。
「甲山もこの道も、関学のものではないのですが、関学にとってなくてはならないものです。この風景を造ってくださったのが、『みちくさ』でお世話になっていた方のお父様だったなんて・・・」
と杉原学長。
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