競馬、競輪、競艇、オートレースといった公営競技を地方自治体が実施し、その収益金が地方財政に貢献してきたという時期があった。
1946年には戦前からあった競馬が復活し、1948 年8 月には自転車競技法が公布されている。
そして西宮市内には、二つの競輪場があった。
甲子園競輪場(開設当時は鳴尾競輪場)と阪急西宮球場に特設バンクを組み立てる西宮競輪場。
西宮競輪場は1949年3月から2002年3月に幕を下ろすまで野球のない時に特製バンクを組み立てて競輪場として使った。
開始当初は、野球での集客よりはるかに多くの人を集客したという。
バンクなどは外野席後方の敷地内の一角にまとめて収められていていたが、組み立てや解体作業に半日かかり費用も嵩んだという。
一方の甲子園競輪場は、戦前は阪神電鉄のアンツーカーのテニスコート100余面があった場所(甲子園球場より南)に作られた。最初は真ん中に池を掘り、その土でバンクを作ったという。(その後、池は埋め立てられた。)
兵庫県二番目の鳴尾競輪場としてオープンしたが1951年に甲子園競輪場に改称した。
競輪の収益は全国的に1990年代中盤から頭打ちとなり、赤字がかさんでいくことから、2002年3月の開催を最後に、西宮でも西宮競輪場・甲子園競輪場ともに廃止となった。
甲子園競輪は競輪場のすぐ横に自動車教習所が併設されていたが、2002年末には教習所も閉鎖となり、今では大規模マンションや戸建てが建つ住宅地となっている。
その住宅地に甲子園競輪場があったという名残は、その近くに残る車止めに描かれた模様に残るだけとなった。