この秋封切りの映画『ふたたび swing me again』。主な舞台は神戸だが、西宮で撮られたシーンも登場する。
さらに、財津一郎さん演じる健三郎と共に旅をし、セッションする孫役で主演する鈴木亮平さんは西宮出身。

実は「西宮流」レポーターは、1年前に行われた大手前大学での撮影の場に立ち会っていた。鈴木さんとも話す機会を得て、気さくで爽やかな人柄にすっかり魅了され、早くみんなに伝えたくて、伝えたくて・・・映画の完成を心待ちにしていた。
ようやくできあがった映画『ふたたび swing me again』。試写会でも感動の拍手がまきおこった。「人生でやり残したこと、ありませんか」のキャッチフレーズが、胸に響く。ガーデンズの東宝シネマズ西宮OSでも上映される。ぜひ、映画館へ足を運んでみてください。
映画『ふたたび swing me again』ストーリー
神戸。50年前ジャズバンドに青春を賭けていた男たちは、今やそれぞれの人生の最終コーナーを曲がろうとしていた。
78歳になった貴島健三郎は、かつてのバンド仲間を探すために、思うように動かなくなった手に杖を握らせ立ち上がった。
彼の願いは、何も言えないまま姿を消したあの日の許しを請うこと。
そして、あの日果たすはずだった、憧れのジャズクラブ”ソネ”でのセッションを実現させることだった。
それは、彼にとってやり残した人生を取り戻す最後の旅。
(ふたたび SWING ME AGAIN のチラシより引用)

配役: 鈴木亮平 /MINJI /青柳翔 /藤村俊二 /犬塚弘 /佐川満男 /渡辺貞夫(友情出演)/ 古手川祐子(特別出演)/ 陣内孝則(特別出演) /財津一郎
監督:塩屋俊
今回、メガホンを取られている塩屋俊監督とは、2年ほど前の「0からの風」の自主上映会にご協力させていただいたことからのご縁。
関西で、関西の人を使った映画をもっと撮りたい・・・とおっしゃっていた監督と、再び映画のロケ地となった西宮で出会えたのがうれしかった。
塩屋俊監督プロフィール
・1956.8.5生 大分県出身
・1980年デビュー 株式会社ウィル・ドゥ所属
・慶応大学在学中に、メソッド演技の中心的理論のひとつであるマイズナーテクニックを学び、ハリウッドをはじめ国内外で多くの俳優経験を積む。その後、「塩屋俊アクターズクリニック」を開設。
・近年は映画監督として、社会派作品を中心に様々な作品を企画・演出・製作、支持層を加速度的に広めており、同時に自らの映像作品では指導してきた若い才能達が活躍している。
<ACTORS CLINIC 塩屋俊プロフィールより抜粋>

鈴木亮平さんと大手前学園・福井有理事長とのビッグ対談
大手前大学のMEDIA LIBRARY・CELLの一角で、この映画の主演の鈴木亮平さんと映画に出演もしている大手前学園・福井有理事長との対談が始まった。

福井:すごくいい映画でしたね。鈴木君の演技がすごく自然だったし・・・。車で旅していて、最初はギクシャクしてたお祖父ちゃんと孫がだんだん分かり合っていく機微が感じられて良かった。僕が一番気に入っているシーンは、ボンネットの上で、おじいちゃんと孫がお金のやり取りをしているところ。あそこは、大翔(ひろと)の心の変化が伝わってきたよね。演技だったの??
鈴木:芝居は、どれだけ自然に見せられるか??だと思っています。今回、大翔(ひろと)をいい子にしたくなかった。ごく普通の、無知な青年。無知だから・・・偏見を知らなかったから・・・こそ、強さがあったと思うんです。
福井理事長も鈴木亮平さんも西宮生まれ。お二人とも大学が東京という事や、アメリカで過ごした経験など共通点も多い。
福井:僕は本当に今大学が建っている、ここで育ったんです。でも一度外に出てみると、本当に西宮の良さが分るよね。
鈴木:西宮を出てまず思ったのは、『故郷がある』っていい事だなということでした。おまけに、西宮は風景もきれい。海と山が住宅地のすぐそばだし、便利だし・・・。帰ってきたら本当に落ち着きます。僕は、今回の撮影で初めて大手前大学に入ったんですが、すごくきれいな大学ですね。
大手前大学は、夙川の少し西にある。JRの線路のすぐ南側に位置しているが、阪神淡路大震災では大きな被害を受けた学校の一つ。
福井:うちの学校は、震災で大きな被害を受けました。あの時は卒業生や在校生はもちろん、地域の方々が、大学の復興のために大きな力を貸してくださいました。メディアに取材もされましたが、その話をしたら一つのストーリーになりますよ。 ところで、鈴木君は英語が得意だと聞いていますが、きっかけは何かあるの??
鈴木:Back to the Future(バック・トゥ・ザ・フューチャー)やJaws(ジョーズ)など、アメリカ映画をいっぱい見て育ちましたから、その国に憧れ、言葉(英語)にも興味を持ちましたね。
福井:それもまた僕と同じですね、年代は違いますが。『ララミー牧場』とか『パパは何でも知っている』・・・とかね(笑) 慶応大学の頃は、渋谷の名画座でよく映画を見ましたね。勉強としての英語は嫌いだったけど、耳で聴いてしゃべりたい!!と思いましたね。ジャズに出会ったのもその頃でした。
鈴木:僕が最初にアメリカに行ったのは、西宮市の交流プログラムでのスポーケンでした。その時の感動で、高校に行ったら留学したいと思い芦屋南高校に行きました。一年の時にオクラホマにファームステイしました。落ちている石ころまでが感動でしたね。あのアメリカ映画の地にいるんだと思うと・・・(笑)
スクリーンの向こう側に行きたいと思った少年が、今こうして主演映画の舞台挨拶で西宮に帰ってきている。映画が好き・ジャズが好きな福井理事長とは大いに話が盛り上がり、あっという間に予定の時間が過ぎていった。

福井:楽器はやっていたの??
鈴木:トランペットを吹くことになって、ブラバンをやっていれば良かった・・・と思いましたね。僕は吹けませんから、流れている曲に充て振りです。財津一郎さんは、この主題歌の『SO FARAWAY』のトランペットの指を全部覚えられましたね。 ところで、理事長がこの映画に関わられるきっかけはなんだったんですか??
福井:本校の先生が塩屋監督と懇意で、まだ俳優も決まってない頃に、監督からこの映画の構想をお聞きする機会があったんです。その時に、ジャズがモチーフになるのなら、それは神戸で撮るべきですよ!!と監督にお話ししましてね。それがきっかけでしたね。こんなにいい作品に仕上がって感無量です。本当に思い出深い映画です。キャンパスでも何度かロケがあったし、ジャズ研究会や、学生がスタッフのお手伝いをするなどして、この映画にこんな形で関われて、本当に幸せでした。
こうして、15分間と言う楽しい時間はあっという間に終わった。
<写真撮影: T・YSTUDIO 森裕人>
鈴木亮平プロフィール
1983年3月29日・兵庫県出身。
2006年に俳優デビュー。
その後、CX「花ざかりの君たちへ~イケメンパラダイス~」(07)、TX「秘書のカガミ」(08)、CX「シバトラ ~童顔刑事・柴田竹虎~」(08)、CX「メイちゃんの執事」(09)、CX「魔女裁判」(09)、TBS「ヤンキー君とメガネちゃん」(10)など人気連続テレビドラマに次々と出演を果たす。
映画でも『椿三十郎』(07)や『わたし出すわ』(09)、『カイジ~人生逆転ゲーム~』(09)、『シュアリー・サムデイ』(10)など話題作に出演。
本作公開前には舞台「12人の優しい殺し屋」にも出演し、若手俳優の中でも注目を集める存在となっている。
また、東京外語大学在学中には、英検1級を取得するなど英語も堪能。
< 映画の公式サイトより >
大手前大学での撮影風景の一コマをご紹介
鈴木亮平さん主演の映画「ふたたび SWING ME AGAIN」のロケが、大手前大学夙川キャンパスで行われるというので取材に行ったのは一年前の2009年10月4日(日曜日)。



その日、その場にはW主演ともいえる鈴木亮平さんとおじいちゃん役の財津一郎さん。そして看護師役のMINJIさんがいた。
その日見せていただいたのは、2カットを撮影するだけだったが、本番OKまでには、何度も何度も取り直しがされていた。
はじめて見た映画の撮影風景は大変新鮮で興味深かった。
大勢のスタッフは、それぞれに大切な役割があり、出演する俳優さんたちとのチームプレーなんだと言うことが感じられる。
カメラの下にはレールが敷かれ、カメラが俳優の動きに合わせる。
たくさんのコードが這い回る足元に気をつけながら、腰にたくさんの道具をぶら下げた人たちが監督の一声で動く。




テストごとに、画面を覗き込む塩屋監督の目は厳しい。
取り直しの合間に、塩屋監督が俳優さんと打ち合わせる場面も。
こうして、大手前大学中門入口でのすべての撮影が無事終了し、ホテルに移動すると言う、くつろいだ雰囲気の鈴木亮平さんとほんの少しお話ができた。
「俳優って、なろうと思っても、なかなかなれないものですからね・・・。本当に幸せだと思っています。」
中学生のころには、すでに俳優になりたかったという。
モデルが出発だったが「やっぱり、演技がしたかったですね。映画が一番好きですね(^_^)」
英語が堪能とお聞きし、世界へ大きく羽ばたいて欲しい…とエールを送ったら
「イヤ~、もう一ヶ国語ぐらい勉強したかったんですが、英語だけではね。」
と真顔で答えてくれた。
「西宮はやっぱりいい所ですね。帰ってくるとホッとします。空気も風景も・・・」
久々の西宮の空気が、きっと撮影の活力になったことだろう。
「西宮って、残念ながら知名度はイマイチですよね。神戸、芦屋、宝塚の名前は出てくるんですが。西宮出身の俳優さんも多いですのに…。」
ぜひ、西宮の宣伝マンになって欲しいとお願いした。
来年の封切時に合わせて、もう一度コメントを頂く約束をして分かれたが、この願いが果たして実現するのだろうか??
2009年の10月には「カイジ」に出演し、2010年は小栗旬監督の「シュアリー サムデイ」と、この「ふたたび SWING ME AGAIN」の出演がすでに決まっているという。
「きっと来年は鈴木亮平さんの年になりますね」とエールを送りながら再会を約束したことが、今回のインタビューへと繋がった!!
大手前大学内での試写会の舞台挨拶

2010年11月13日の映画「ふたたび SWING ME AGAIN」の封切に向けて行われた、夙川の大手前大学内での試写会で鈴木亮平さんとの再会が実現した。
この日はW主演とも言える鈴木亮平さんと財津一郎さん、そして塩屋俊監督が舞台挨拶に立つという贅沢な試写会。
集まった観客の熱い拍手に迎えられて3人の挨拶があった。

鈴木亮平さん
「初めての主演映画を生まれ育った西宮で撮れ、また初めての舞台挨拶が、ここ西宮でできた幸せを感じています。
無知な若者の貴島大翔(ひろと)を、自然体で演じようと思いました。
その場の空気を読むことを心がけていました。
亡くなった実の祖父に少し似ておられる財津一郎さんと一緒にいて、不思議な感覚に陥ることもありました。
僕達世代の若い人にも、自信を持って『観て下さい!!』と言える映画です。」

財津一郎さん
「自信がなくて、何度も監督さんにはお断りしました。けれども監督さんの熱意で、監督にすべてをお預けしました。
しかし、撮影中も体力が持つのか??と不安の連続でした。ハンセン病と言うことでは、かって血を吐くような日本の歴史がありました。
この映画はそんな重さもありますが、人間はたとえ細い糸でもいいから何かロマンを持って生きないといけないと思います。
これまで多くの作品を見てきましたが、この作品のタッチは異色です。どうぞゆっくり見てください。」と舞台上で突然映画の主題歌『SO FARAWAY』を歌い始め万雷の拍手が沸き起こった。

塩屋俊監督
「大手前大学の関係者の皆さんには本当にお世話になりました。エキストラだけでなく、ジャズ研究会の方には大変なご協力をいただきました。
5年前にこの台本に出会ったときには、難しいと思いました。しかしその後、ジャズを切り口にできないかと思った時、いろんなものが動き始め、縁を感じながらこの大手前大学で、そして神戸で撮影することができました。
過酷な経験から生まれたエネルギーを描くことで、ハンセン病と言う重いテーマと神戸の復興を重ね合わせる事ができたと思っています。又これは、先日、天に召されたジャズクラブ「SONE」のオーナー・曽根桂子さんに捧げる作品でもあります。
<写真撮影: T・YSTUDIO 森裕人>
鈴木亮平さん、塩屋俊監督 さくらFM『わがまち ふるさと』に出演
試写会が終わった後、増井孝子さんの『わがまち わがふるさと』の収録のために、JR西宮駅前のさくらFMのスタジオに移動されたお二人。ここでも、たっぷりと今回の映画についてのお話が伺えた。
この日の収録が放送されるのは、11月7日(日)21:00~21:50、さくらFMで。
映画にも詳しい増井さんは、以前に塩屋俊監督とのラジオ番組の経験もあった様で、スタジオに入ってこられた監督の第一声は「お久しぶりです、増井さん!! 以前のラジオ番組ではご指導ありがとうございました。」 なんとも和気藹々。

鈴木亮平さんと初対面の挨拶をした増井さんが
「ものすごく上背もあるし、シューとしたイケメンやね~」
と話し始めると、それに合わせるように
「今日はもう、関西弁に戻りますよ(笑)」と鈴木亮平さん。
『シューとした』と言う表現は、関西の表現かな~と変なところで二人が大盛り上がりしながら、和やかに収録が始まった。
出身校の説明で「今津中学」と出ると、決まって「ブラバンやってたの??」という質問になる。
今回の貴島大翔(ひろと)役が、トランペッターという設定だから余計そうなるが、鈴木亮平さんに付き添っている東京のスタッフからは「今津中学って、そんなに有名なんですね・・・」とポツリ。こういう、地元ネタで盛り上がれるのがまた楽しい。
中学の頃から、漠然とあこがれていた映画スター。鈴木亮平さんが演劇を始めたのは大学に入ってから。
「役者になる方法って分らないじゃないですか~。みんなが就活を始めた時、僕はプロフィールを持って制作会社を回ってました。たまたま知り合った人から、『モデルからはじめたら?』とアドバイスいただいて。そんな頃でしたね、ホリプロの演技レッスンを指導して下さっていた塩屋監督と知りあったんです。」
「今回、主役として大先輩との映画でしたが、一緒に芝居している時はなるべく大先輩とは考えずにいました。少し実の祖父に似ていた財津一郎さんとは、本当のおじいちゃんのような感覚でしたし、そのおじいちゃんの友人と思っていましたが、こうして映画が出来上がってから改めて、すごい方たちとご一緒したんだと思いました。」
「主人公の大翔(ひろと)は、今の時代の若者で、殆ど僕自身でした。塩屋監督の下で、本当にのびのびさせてもらって幸せでした。僕達世代の若者にも見てもらえる映画になったと思います。ぜひ足を運んでください<m(__)m>」
こんな、鈴木亮平さんの素顔に迫る増井さんのインタビューは、ぜひ11月7日(日)21:00~21:50のさくらFM『わがまち わがふるさと』をお楽しみに!!

「この本は一度頓挫しているんですよ。僕達は、一度にいくつかの作品を抱えているのですが、以前に西宮で自主上映会があった『0からの風』の方が先に世に出ましたね。
『ふたたび SWING ME AGAIN』は少々難産でした。でも、時代が動くような気がするんです。今回、この撮影に入ろうとした時、それはもう本当にたくさんのご縁にめぐり会いました。時が来たんだな~と思いましたね。」と塩屋俊監督。
少し遅れてスタジオ入りされた監督の第一声の挨拶が冒頭の部分だったが、作品の話になると乗り出すようにして熱く語られた。
「この作品を神戸で撮ろう・・・と強く思ったのは、神戸国体の会場で聞いた『翼をください』の大合唱でした。
あの時僕は、大分国体の演出の勉強にその場にいたんですが、涙が止まりませんでした。
その時『ふたたび SWING ME AGAIN』は神戸で撮ろう、関西ロケで作ろうと思いました。この映画に関われて本当に幸せに思っています。」
「つい先日、曽根桂子さんが亡くなられましたが、映画のラストに曽根さんの笑顔のシーンがありましたが、編集は訃報の前だったんですよね??」と尋ねる増井さん。
「今回、差別と偏見を描こうと思ったとき、1800年代に白人達が残した楽器で、虐げられた黒人達が生んだジャズを使う事を考えました。
日本のジャズの発祥は神戸です。最後の曽根桂子さんのあの笑顔は、永遠に息づくシーンです。
曽根さんの足跡が映画に刻まれ、あの笑顔が永遠に残るんです。大切なことを大切だったんだと気づくきっかけにしていただけたらと思います。」と塩屋監督。
財津一郎さんには2度断られ、3度目に出演交渉に行ったときには、自分が面接されていたようなものだと塩屋監督。
撮影の初日に、その財津一郎さんから『あいつはいいよ!!』と一言。
そんな言葉で愛弟子の鈴木亮平さんを評価してもらった時は、自分の見る目を確かめられた瞬間だったと振り返った。