理論物理学者で、昭和24年に日本人で初のノーベル賞を受賞した。
多くの時間を京都で過ごしているが、中間子論を発表したのは西宮の苦楽園に住んでいた。
湯川博士の随筆「旅人 ある物理学者の回想」>>では、苦楽園時代のことを「私にとって忘れることのできない、思い出の家となったのである。」と書かれている。
苦楽園のバス停そばの三笑橋の近くの家に住んでいた。
日曜日などには、近所をよく散歩して楽しんでいたと言われている。
西宮市では湯川博士の偉業を顕彰して「湯川記念事業」>>を行っている。
JR西宮駅前のフレンテ西宮4Fには湯川記念事業のコーナーがあり、湯川秀樹さんの足跡をたたえるパネルなどが展示されている。
また、昭和60年には博士ゆかりの研究者が中心となって「中間子論誕生記念碑」を苦楽園小学校の校庭に建てた。