灘五郷の日本酒にとって、西宮のごく限られたエリアに湧く『宮水』>>はなくてはならない水。
江戸時代にこの水が注目された時から、大切なこの水はこのエリアに井戸を持たない酒屋は、宮水を買っていたという。
そんな背景もあり『水屋』という商売もあった。
江戸時代、水屋は水の入った樽を大八車で運んだというが、水が溢れて道がぬかるんで大八車が立ち往生しないようにと、酒蔵地帯の一部に板状の石をレール状に並べて敷いていたと言う。
それを『板石道』と呼んだが、白鹿記念酒造博物館の酒蔵館に大八車と板石道が残されている。