名塩蘭学塾のあった場所に緒方八重の胸像がある。
名塩蘭学塾は伊藤慎蔵が文久2年(1862)に「伊藤塾」として開設した。
八重が取り持って、最初は八重の生家である億川家の一室で開いたが、
多くの若者が集まってきたという。
塾(億川家)のあった場所は、今は「JA兵庫六甲名塩支店」が建ち、
その敷地の一角に八重夫人の胸像が置かれ、その歴史を今に伝えている。
名塩出身の八重は、緒方洪庵の妻としてその名が知られているが、
福澤諭吉をはじめ数多くの人を輩出した適塾を陰ながら支えたのは
八重であったと言われている。
名塩蘭学塾は、緒方洪庵の適塾で塾頭を勤めた伊藤慎蔵が
文久二年(1862)年に八重夫人の生家である億川家の一室で開いた。
名塩東口から名塩バス停に至る旧道が「蘭学通り」と名付けられ、蘭学塾があった歴史を留めている。