2002年(平成14年)に甲子園競輪場は歴史を閉じた。
昭和24年「鳴尾競輪場」としてスタートしたが、鳴尾村が西宮市と合併した26年に「甲子園競輪場」に改称。
一時期、その収益は西宮の貴重な財源にもなっていたようで、現在、西宮北口駅の南東にある「市民交流センター」は、兵庫県自転車競技厚生事業団のものだった。
西宮と甲子園の二つの競輪の廃止に伴って、兵庫県自転車競技厚生事業団から厚生事業会館の譲渡を受け、平成14年8月1日に「市民交流センター」として開設した。
<注>かつて、西宮には二つの競輪場があった。
一つは甲子園競輪場、もう一つの西宮競輪場は阪急西宮スタジアム>>に仮設バンクを設けての競輪場だった。
競輪場があることが「文教住宅都市」宣言をした西宮にふさわしくないという声も多かったようだが、徐々に収益が悪化してきたこともあって競輪場の廃止につながった。
競輪場があった頃は、競輪場の横に自動車教習所があり、競輪開催日にはその教習所が駐車場になっていたと聞く。
今はその一帯は跡形もなく、大きなマンションや戸建ての住宅地になっているが、道路の車止めのデザインに、わずかに競輪場の片鱗が見える。