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阪神淡路大震災から20年に寄せて VOL.1

阪神淡路大震災から20年。この街で、歩き続ける。語り繋ごう、あの時のこと

阪神淡路大震災から20年。語り繋ごう、あの時のこと

阪神淡路大震災から今年が20年になる。
新聞などでも、連日のように震災関連のニュースやコラムが続いている。
あまりにも大きい出来事過ぎて、「西宮流」としては安易に震災関連記事を書くこともできずに ここまで来てしまったが、西宮流の読者からの投稿なども交えて記事にしてみたいと思う。

 

<まずは、ある読者からの投稿より>
甲子園球場の南側の道路を少し西に行くと酒蔵通りにでます。その酒蔵通りを西に走ると、新川に架かる「網引橋」があります。
一見何の変哲もない端なのですが、アスファルトの補修に何となく違和感を感じます。
「バンソウコウ」を思わせるその姿、実はコレ、阪神・淡路大震災の名残なんです。


20年前の1月17日に発生したこの地震。西宮市をはじめとする阪神間にも大打撃を与えました。
鉄道はJR・阪急・阪神が麻痺。
阪神に関しては翌日から甲子園以東での運転を再開しました。

また、道路は阪神高速神戸線の倒壊で、その下を走る国道43号線でも橋桁の崩落がありました。
西宮市内だと、西宮神社前の阪神高速で辛うじて転落を免れた観光バスの写真が有名になりましたが、湾岸線の西宮大橋が不通になったり、甲子園球場近くの橋桁が落ちて自家用車が下敷きになる等の惨事もありました。


行政は国道を復旧作業にあたる車の通行を最優先とし、走行制限を設けて、認可を受けた車両しか走れないようにしました。
では一般車はどうだったかというと、その制限のない旧国道などを走ることになりました。
ですが、当然ながら全く動けない状態。ましてや橋となるとさらに通れる場所がより少なくなります。


ご他聞に漏れず、酒蔵通りも同様でした。そして最大の難関が「網引橋」でした。
橋へと続く盛り土(=登り坂)部分と、橋を支える橋脚部分で20センチ近い段差が出来てしまったのです。


網引橋 網引橋

歩行者や自転車はまだしも、車はほとんど進めない状態。辛うじて轍になっている部分を譲り合いながら、しかもゆっくりと行き交うのが精一杯でした。
幸いにも数日のうちに段差はそのままもアスファルトで簡易的に舗装され、その後の改修工事で現在の姿となり、通常の道路として復旧を果たしました。
橋の周囲をよく見れば、今でも植え込みの中などに段差やひび割れを見つけることが出来ます。


でも、この「バンソウコウ」が当時の西宮の東西を繋いだ名残であることを忘れないでいて下さい。

<文・写真 T・Fさん>

 

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