西宮の辰馬家とは区別して、鳴尾辰馬家の14代当主の辰馬半右衛門。号が烈叟。
明治時代の辰馬家の隆盛や、鳴尾村の発展に尽くした鳴尾の名士。
15代・約200年続いた辰馬家は酒造業と海運業で栄えたが、その「東自慢」は灘の銘酒の一でもあった。
里中町の寿公園>>にある大きな台座の上には、烈叟氏の乗馬姿の銅像があったが、戦争中の金属の供出でなくなり、台座だけがあったのを、鳴尾村の決議でこの公園に移転したという。烈叟氏は1910年(明治43年)に亡くなった。
烈叟氏の銅像は、1909年(明治42年)に本郷角間の別邸に建てられていたが、1940年(昭和15年)の紀元2600年を記念して小松城址(今の岡太神社)に移転した。
烈叟の時代は、江戸から明治への転換期でもあり、辰馬家の隆盛は酒造・海運だけでなく大地主となった時だった。
辰馬烈叟翁のお墓は、辰馬家歴代の墓と共に上鳴尾墓地にある。
辰馬烈叟が亡くなった直後の日露戦争を境に事業に失敗し、15代目で酒造業は小西酒造へ、海運業は西宮辰馬の辰馬本家酒造へ売却することとなったが、この15代目の半右衛門は、鳴尾100華園を造ったり、阪神電車開通に土地を提供したり鳴尾の発展に大きく寄与し、鳴尾村長も2度にわたって務めた。
上鳴尾にある鳴尾八幡神社>>にも、「辰馬半右衛門」「辰馬烈叟」の文字の見える灯篭や玉垣がある。