西宮市奥畑6-35にある浄水場。
現在は浄水処理はせず、神水道企業団から受水した水の配水だけを行っているが、大正13年6月に完成した。
武庫川水系の水だけでは心もとないからと、捕水のため夙川上流の水分谷と剣谷川の合流点上流を第二取水地とし、また万一の渇水を考慮してニテコ池及び鷲林寺の夫婦池を予備の貯水池とし、これらの水を浄水場・ニテコ池に送水するための「越水浄水場」だった。西宮市のWEBサイトより>>
現在の 越水浄水場>>や隣の震災記念公園内には、興味深い印の付いた構造物(水飲み場??)などがあったり、今の越水浄水場の正門に向かっての両側に古い階段があったり、柵が残されていたり・・・と謎の多い場所。
どうやら、越水浄水場と蔵元は大きな関係があったようだ。
WEBサイトなどからまとめてみた。
・宮水を使っての酒造業が盛んだった西宮町では一般の飲料用水事情は厳しく
(宮水は飲み水には不向き)、衛生面の心配などからも上水道事業が必要と
されていたが、莫大な費用が掛かるためなかなか取り掛かれなかった。
・酒造家の辰馬吉左衛門と八馬兼介の多額の寄付金によって着工可能になった。
・大正12(1923)年7月24日、配水開始。
・大正13(1924)年6月8日、水道竣工式典。(この年に桜の記念植樹)
・大正14年(1925)4月、西宮市制がスタート。
・昭和8年(1933)年、大社村・今津町・芝村と合併。
越水浄水場の横にあった旧大社村東部水道浄水場を引き継ぎ拡張工事を進める
・昭和10(1935)年、丹後の籠神社から勧請し水神社を建てる。
・平成14(2002)年、分祀した御霊をお返しして神社を閉める。
<以上の記述は 西宮流の「聞きかじり西宮歴史散歩」より>>>