酒造りは古くは季節を問わずに行われていた。造る季節により、秋の彼岸過ぎから仕込む「間酒」、初冬に仕込む「寒前酒」、厳冬に仕込む「寒酒」、春先に仕込む「春酒」の5種類に区別されていた。
寒造りは冬至の頃に「酛(もと)」、を造り始め、年間の最も寒い季節に行われる酒造りで、低温により雑菌の繁殖を抑え、「醪(もろみ)」の温度もコントロールしやすく、酒の品質は最良であった。
江戸時代はこの酒を「寒酒」と呼び、最も好まれていたので価格は最高であった。
神戸市から西宮市にかけて、冬季に六甲山系から浜側に吹く北風を「六甲おろし」という。
灘の酒造りは寒造りで発展したと言われているが、この「六甲おろし」が寒造りに最適な気候をもたらす。
この「六甲おろし」を効率よく利用するための酒蔵は「重ね蔵」と言われ、北側に仕込蔵兼貯蔵庫を、南側に前蔵が重なったように隣接させ、東西に長く建てられている。北側の蔵は「六甲おろし」を直接受けられるように沢山の窓が設けられ、酒造りに好適な低温を作り出す。また夏季には前蔵が南からの日光を遮り、貯蔵庫の低温保持がはかられる。
「重ね蔵」の内部は白鹿記念酒造博物館(酒ミュージアム)「酒蔵館」が良くわかる。
寒造りのもう一つの利点は「丹波杜氏」の活用にある。酒造りが冬季に限定された仕事となったため、季節労働者が主体となり酒造りを始めた。季節労働者の大半は、農閑期、魚閑期にあたる従事者であり、年単位で繰り返すのが一般的な形態となった。
毎年同一地域の人達が集団で同一酒造場に就労し、杜氏と呼ばれる酒造りの長以下、様々な役職からなる職階制度が出来上がり、酒造場の管理全般に携わるようになった。
西宮郷・今津郷の酒造場では主に丹波杜氏がこの役割を果たしていた。
丹波杜氏の故郷である、丹波篠山の「丹波杜氏酒造記念館」を写真で紹介する。
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昔の写真 西宮市歴史資料チームおよびにしのみやデジタルアーカイブ提供