西宮市市政100周年を記念したイベントがさまざま開催されている『甲子園 むかし さがし』も、じっくり楽しめるイベントになっている。
昨年、郷土資料館で開催されていた特別展『甲子園の足跡〜枝川・申川から甲子園へ〜』の一部が展示されている。
今風景のレイヤーに、昔の風景を重ねてみませんか??
『甲子園 むかし さがし〜川へ まちへ 浜辺へ〜』

『甲子園 むかし さがし〜川へ まちへ 浜辺へ〜』
日時:2025年4月29日〜7月6日(日)9時〜17時(月曜日休館、但しその日が祝日の場合はその翌日が休館)
場所:甲子園浜自然環境センター
<小学生はエコカード、保護者は保護者用エコカードをご持参ください>
大正から昭和初期にかけて「阪神間モダニズム」と言われる生活様式が花開いていた西宮は、遊園地や温泉がある華やかな場所であった。
そしてその頃の甲子園浜は海水浴場として賑わいはじめ、阪神電鉄は住宅地やスポーツ施設、甲子園娯楽場(その後、浜甲子園阪神パークとなった)などを誕生させていった。
競馬場があり、それがその後、飛行場となったりという変遷にじっくり浸れる展示になっている。

昨年、郷土資料館で開催されていた特別展『甲子園の足跡〜枝川・申川から甲子園へ〜』の一部だが、さまざまな資料が身近でじっくりみれるのが嬉しい。
歴史を知ると、見慣れた風景がまた変わって見えてくる面白さもある。
展示期間がながいので、是非一度足を運んでみてほしい。
甲子園浜自然環環境センターってこんなところ!
甲子園浜自然環環境センターは2002年に開設されたが、それよりずっと前の1971年に兵庫県が甲子園浜の埋め立てを発表したことがあった。
それを知った南甲子園小学校のPTAが原告となって「子どもたちに砂浜を残そう、イソガニを守ろう」と訴訟を起こし、1982年に和解が成立し埋立規模が縮小され、全長約2キロの砂浜と磯が残ったという歴史がある。
1978年には甲子園浜の干潟が鳥獣保護地区に指定されている。このような甲子園浜の歴史も甲子園浜自然環環境センター3階では学ぶこともできる場所になっている。

<甲子園浜自然環環境センター1階>
一階は「みやたんとみにゃっこのフレーム」が出迎えてくれるミニ水族館や研修室がある。
円形水槽などには、大阪湾に生息する魚たちが展示されている。

<甲子園浜自然環環境センター2階>
防潮堤とセンターの2階が連絡橋でつながっていて、センター2階からすぐに、甲子園浜に出ることがで着るようになっている。
<甲子園浜自然環環境センター3階>
「図書コーナー」海・渡り鳥・植物などの自然や生き物に関する専門の本・図鑑が約500冊もあり、甲子園浜の歴史などもわかる展示もある。
また、双眼鏡なども置かれていて室内から浜に来る野鳥の観察もできるようになっている。


甲子園浜ってこんなところ!
甲子園浜に海水浴場が開かれたのは、1925年(大正14年)7月。
水質悪化で海水浴場が閉鎖となったのが、1965年(昭和40年)だった。
阪神電鉄は大正末期から甲子園地域の開発を進め、甲子園球場を筆頭に、健康住宅と呼ばれていた住宅地の開発や、テニスコートや大運動場などのスポーツ施設建設のほか、1929年(昭和4年)には、敷地面積2万坪という広大な、温浴施設、運動施設、映画館などの余興施設をそなえた『甲子園娯楽場』(後、浜甲子園阪神パークと改名)を甲子園浜に誕生させた。

そんな甲子園浜は、当時「みやジャコ」と呼ばれていたカタウチイワシの良好な漁場であった頃もあった。
兵庫県が甲子園浜を「県立甲子園浜海浜公園」としたのが1994年だった。
甲子園浜海浜公園は、今津浜地区(約20,000平方メートル)、浜地区(約28,600平方メートル)、沖地区(約50,400平方メートル)、ふるさと海岸地区(約23,200平方メートル)、砂浜部分(約77,000平方メートル)からなっている。

甲子園浜は、昔よりは埋め立てられているところもあるが、一部、阪神間に残された自然な砂浜と干潟、磯がある浜になっていて、野鳥や干潟の生き物、貴重な植物などもみられる。
東西に長い浜の堤防の遊歩道は、市民の憩いの場ともなっていてウォーキングやランニング、バードウォッチングする人の姿も多く、休みの日などは家族連れが磯で遊ぶ姿も多い。

現在、潮が引いたときにあらわれる人工物のようなものは、浜甲子園阪神パークの建造物の基礎の残骸>>であり、歴史の証人ともなっている。
下記の記事もご参考に!!