西宮七園の中で最も早く開発された甲東園は、芝川家第二代当主「芝川又右衛門氏」が貸金の抵当流れの土地を買収したことから始まる。この土地は「貧弱至極の地所」と言われるように、全く耕作に適さない土地であった。用水池を開削し改善を試みるも良い結果が得られず、調査の結果水田としては水を保てず、畑としては旱魃に堪えない土地であることが解った。そこで果樹園とすることに決定し、1897(明治29)年に試験的に果樹栽培を行った。
下記の地図に「芝川農園」と記されている白い部分で、関西学院の正門前の学園花通りに面していた。
次の拡大地図と現在の地図を比較すると、凡そその位置と規模が確認出来る。
果樹園には、蜜柑や葡萄のほか、桃、林檎、梨、レモンなど様々な果樹が植えられました。また明治31年には、樅、栂、槇、桜、梅、サツキ、クチナシなど果樹以外の樹木を購入し、植え付けました。果樹以外の樹木の多くは後に売却されましたが、その一部は今も甲東園に残っているかも知れません。
甲東園と芝川家2 果樹園の開設 より
残された「農園略図(果樹園)」に植えられている果樹の種類が記入されている。
果樹園は広大な土地を利用し、柿、桃、葡萄、梅、李などの多種類の果樹が栽培されていた。また小さくて確認困難だが、麦、いも、野菜の栽培ほか、鶏舎や豚舎も設置されて家畜の飼育も行っていたようだ。
「甲東園果樹園」に残されている写真を幾つか、甲東園と芝川家3 果樹園の風景 から提供をうけて紹介する。
果樹園では養蜂にも取り組んだそうだが、蜂に逃げられ失敗したとのエピソードも。
写真の詳しい説明は参考にした「甲東園と芝川家3 果樹園の風景」を参照願いたい。
戦後の農地改革の影響で、未利用の土地の売却と共に、果樹園も廃止された。
果樹園の思い出が寄稿されているが、近所でも人気の果樹園であったようだ。
現在、果樹園の一部が甲東梅林として移設され、甲陵中学校の隣の敷地にあり、毎年春には紅白色とりどりの梅花を咲かせている。
甲東園果樹園の名残の甲東梅林は毎年、見事は梅花を咲かせ、西宮市民に春の到来を告げ、市民の憩いの場となっている。
参考資料(昔の写真を含む)は以下の通り
① 甲東園と芝川家2 果樹園の開設
② 甲東園と芝川家3 果樹園の風景
③ 【甲東園】甲東梅林|西宮市ホームページ
昔の地図は西宮市歴史資料チーム提供
文中の資料や写真は全て千島土地さんの了解を得て使用したもので、使用に際しては改めて千島土地さんの了解をえる必要がある。