1920年(大正9年)7月6日、大阪と神戸を結ぶ阪神急行電車神戸線が営業を開始し、西宮北口駅は誕生した。翌年9月2日、西宝線が誕生し北の宝塚とつながった。 さらに1926年(大正15年)12月18日、西宝線は西宮北口駅から今津まで南へ延伸され、今津線と名称を変更し、ここに神戸線と平面交差するダイヤモンドクロスは誕生した。
昭和も50年代に入ると周辺開発の進展と共に通勤客が著しく増加、通過する電車は回送電車を入れると1000本近くに増加した。
ダイヤモンドクロスを通過する平均時間は72秒を要し、ダイヤが複雑となり乗客対応が限界となった。
1978年(昭和53年)、阪急電鉄は北口駅改造計画を公表し、その後橋上駅舎を新設、ダイヤモンドクロスを廃止し配線を変更する具体案を発表した。
線路の平面交差は路面電車では数多くあるが、列車本数の多い鉄道線同士では全国唯一であった「ダイヤモンドクロス」は、1984年(昭和59年)3月25日、姿を消した。
最終日に放送されたNHKニュースを参考に。
次に駅出口の今昔を辿ってみた。
西宮北口駅が出来た時の正面改札口は現在の今津線南東にあり、その北側に東出口、北西方面に西出口があった。
改装される前の西宮北口駅には東出口があった。
この出口は北口市場へ直結した改札口で、多くの飲食店もあり、結構賑わっていた。
しかし、1995年の阪神淡路大震災で壊滅的な打撃を受け、現在はアクタ西宮が建設されている。
以前の西宮北口駅の正面改札口は地上階で駅前広場と繋がっていて、駅舎は階上駅となっているため、改札口はすべて二階になっている。
駅南北を結ぶ自動車道は駅舎の東下をトンネルで通過するようになっていて、片道2車線道路に拡張されている。
駅の東口改札を出ると、西宮ガーデンズのゲートビルがあり、そこから西宮ガーデンズへとつながる通路が造られている。
駅の西出口には小さな公園がある。現在この公園の地下は自転車の保管スペースとなっている。この区画は阪神淡路大震災でも余り大きな被害はなく、もっとも変わっていないが、駅前広場は度々改装され、北口駅ではもっとも変化のある出口となっている。
この項で使用した古い写真は西宮市歴史資料チームの提供による。