阪急今津線は1921年9月に宝塚・西宮北口間をつなぐ「西宝線」として開業した。
2021年9月に丁度100周年を迎えたがその状況を、·「阪急今津線開通100周年 名物ダイヤモンドクロスを映像回顧」 テレビ大阪ニュースとして伝えている。
大正9年(1920)7月6日、紆余曲折のあった阪急神戸線が開業した。当初は門戸厄神駅の近くを通る予定であったが、当時先行開業していた国鉄及び阪神電車との神戸・大阪間のスピード競争もあり、比較的曲がりの少ないコースとなった。
開発当初のキャッチフレーズは、「綺麗で早うて。ガラアキ 眺めの素敵によい 涼しい電車」であった。
武庫郡瓦木村に開設した駅名を、将来の発展を考えて西宮の北の入り口という意味の「西宮北口駅」とした。
翌年9月に宝塚駅と繋がり、「西宝線」としたが、大正15年(1926)12月18日に今津と繋がり、その名称を「今津線」と改定した。この時に西宮北口の「ダイヤモンドクロス」が誕生した。
「ガタタン、ガタタン」、懐かしい音が聞こえてくるようです。
ダイヤモンドクロス完成後の阪急沿線の急激な開発により、阪神間の通勤客を始め乗客の増加と共に、西宮北口駅は過密状態となってきた。
次の写真は駅構内の移動状況であり、過密ダイヤの中、駅の出入りや乗り継ぎも危険が伴った。
その後ますます増加する乗客を運ぶために連結車両の増加は必然の要求であり、駅ホームの延長拡大が必要となった。その為に、今津線を西宮北口駅で分断し、神戸線のホーム拡張を図ることとなり、列車本数の多い鉄道線同士では全国唯一であった「ダイヤモンドクロス」は、昭和59年(1984)3月25日、姿を消した。
最後にNHKニュースで放送された、ダイヤモンドクロスの最終日の模様を 2011/08/03 · 制作者 bellwood1975 YouTubeで紹介する。
使用した写真等は西宮市情公開課提供および下記に紹介する西宮市公開データを使用。
なおダイヤモンドクロスに関する記事は、【西宮北口】阪急西宮北口駅ダイヤモンドクロス 姿を消す(昭和59年3月25日)、高松ひなた緑地、阪急西宮ギャラリーを参照。
こちらの確認ミスで、他のホームページに載っている写真を一時期無断使用しておりました。
ご報告いただき、確認して当該写真は削除いたしました。
ご迷惑をおかけしましたこと、お詫びいたします。
今後、写真の確認等は今一度、気をつけてまいります。2024年3月23日