船坂での寒天づくりの最盛期の昭和10年ごろには、14~15軒の工場もあり、寒天は長く船坂の特産品だった。
西宮での寒天作りは明治初期に越木岩・鷲林寺地区で始まり、明治18年頃からは船坂ではじまり最後の工場が閉鎖されたのが平成10年。
船坂で作られていた「細寒天」はとても高級で、台湾やヨーロッパなどにも輸出されていた。最盛期の頃には、船坂川両岸には寒天干し場が並び、約3㎞にわたって白いじゅうたんのようになっていたという。
船坂は西宮の中でも標高が約400m程と高く、冬は夜間の気温が零下5度~10度になることや、六甲山からのふきおろしで船坂川に沿って乾燥した風が通り、水も豊富ということで寒天づくりに適していた。
また原料の天草の仕入れも、大正4年に有馬軽便鉄道が開通したことで便利になったことも後押しした。
寒天づくりに使った大鍋は、善照寺の境内に置かれている。
善照寺にある寒天の大釜