お父様が中国清朝のラストエンペラー、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の実弟、溥傑(ふけつ)氏。
お母様は天皇家の縁戚にあたる嵯峨(さが)侯爵家の娘、嵯峨浩(ひろ)さん。
嫮生さんはこの両親の次女。
浩さんが一時的に日本に戻っていたことで、1940年(昭和15年)に東京で生まれたが、その後すぐに満州に戻る。
1945年(昭和20年)、日本が降伏したことで満州国が無くなり、1947年(昭和22年)ようやく母と一緒に日本に引き揚げた。
父・溥傑氏と再会できたのが16年後だったという。
現在は西宮市に住み、娘が武庫川女子大卒という事で1999年には私邸にあった庭を武庫川学院に寄贈し「日中友好の庭」>>が作られた。
春には白い小さな花をつける白雲木もある。
庭にある銘板には、書家でもあった溥傑氏の直筆が刻まれている。
また、2013年には父母の書簡などの遺品を関西学院大学に寄贈され、関学博物館では企画展なども開催される。
2003年にテレビ朝日で放送されたドラマ『流転の王妃・最後の皇弟』で、愛新覚羅浩(あいしんかくら・ひろ)を演じたのが、西宮にゆかりのある常盤貴子さんだった。
(常盤貴子さんについては、こちら>>)
嫮生さんの長男が、当時西宮にいた常盤貴子さんと同級生だったというから、なんとも不思議な巡り合わせだ。