山口町は明治22年の町村実施で、舟坂村・下山口村・上山口村・中野村・名来村の5村で山口村ができ、昭和26年に西宮市と合併して今に至る。
公智神社は、元は功地山にあったというが、1097年(承徳元)の大洪水で現在のところに移った。
秋まつり(例祭)は、元々10月16日だったが、昭和51年(1976年)から10月10日の体育の日となった。しかし、祝日が変わったため、今は体育の日の前の日曜日となっている。
山口町のだんじりは、下山口の大・小、上山口の大・小、中野、金仙寺の6台があり、名来は舁きだんじり(布団太鼓)で計7基ある。
祭りの組織や準備
だんじりの担ぎ手を「だんじり押し」といい、昔は青年団が担いでいた。
だんじりは、おおよそ30人ぐらいで担ぐが、下山口の大だんじりは40人ぐらい必要。
鳴り物は中学生が中心となる。太鼓や鉦はだんじりのスピードによって叩き方が変わる。
太鼓や鉦はだんじりのどろ台(土呂台)という、だんじりの下の方にあり、土呂幕で覆われる。
祭りが近づくとだんじりを小屋から出して掃除し、一年間ハマ池につけて保存していたハマ(コマ)もはめる。
宵宮は、下山口と上山口の4基のだんじりだけが出る。(5時半ごろから9時ごろまで)
それぞれのだんじりはちょうちんや幕、ハナや笹などで飾って本番を待つ。
本宮の流れ
10時:公智神社境内では、各地区から選出された24人の担ぎ手が集まって神輿の準備を始め、名来神楽の舞台用に真砂土を撒く。
11時:拝殿で例祭
13時:神幸祭を斎行し、ご神体を神輿に移す。
13時半:御旅所へ渡御
13時半から14時ごろに御旅所に到着するように各地区を出発しただんじりが神輿を迎え、神事が斎行され、神輿は再び神社へ帰る。
15時ごろ:だんじりの宮入りが始まる。
下山口大だんじり→下山口小だんじり→上山口大だんじり→上山口小だんじり→中野だんじり→金仙寺だんじり→名来の舁きだんじりの順に入る。
【宮入りの見どころ】
神社前の大鳥居から、幅ギリギリのところを全速力で坂を上がる迫力が人を惹きつける。
各だんじりが一直線に境内に突入するのと正反対に、しんがりの名来の舁きだんじりは、前後左右に大練りしながら入っていく。
すべてのだんじりが宮入りした後、名来の神楽が奉納される。
だんじり小屋
お祭で奉納されるだんじりを収納しておく小屋。
祭りで使う時だけ、ここから引出して使うことになるが、大きいだんじりがそのまま入れておくので、大きさはそのだんじりの大きさによって変わる。
だんじりは、「楽車」・「壇尻」・「台尻」・「段尻」・「山車」·「地車」となどと書かれる。
山口町の公智神社には7基の地車があり、狭い町中を練り歩く様子を見ようと毎年10月初めの秋祭りは大勢の人で賑わう。
山口町のだんじりについてはこちらが詳しい➡︎
だんじりについて
だんじりの柱や彫り物はケヤキで、ハマ(コマ)は松の木が使われている。
ハマ(コマ)は一年間水につけて保存する。
だんじりの車輪は、相当な荷重に耐えるため硬い松材が必要で、乾燥割れを防ぐために常に水につけて1年間保存する。
山口町郷土資料館には、1年ごとに交代しながらだんじりが展示されている。
西宮の他地区のだんじり
この他にも西宮神社、福応神社、名塩八幡、名塩皇太神社などにもそれぞれ特徴のあるだんじりがあり、越木岩神社のだんじりは毎年秋まつりで苦楽園口駅前に集結するやり回しが楽しめる。
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