「歌でつなぐ命と記憶」──高田志麻さんが新しく作った合唱曲『継〜命の橋』に込めた、橋と絆の物語

「これまで、戦争のことにはあまり関心がなかったんです」そう語るのは、鳴尾在住のシンガーソングライター 高田志麻さん。

転機となったのは、一年ほど前に聞いた“鳴尾に残っていた弾痕の残る小さな橋”の話だった。

上鳴尾にお住まいの三姉妹のさき子さん▶︎から、その橋に残る戦争の痕跡や、当時の体験を聞いたことで、遠い歴史だった戦争が、突然「同じ町で起きた出来事」として自身に迫ってきたという。

「経験した人は、口をそろえて言われるんです。“二度と戦争をしてはいけない”って。それって、震災も同じですよね。」

「この話を、歌にさせてほしい!歌にして残したい!と思ったんです。」

合唱曲という新しいかたちで生まれた「継〜命の橋」

これまでの高田さんの楽曲スタイルとは少し違い、新曲は合唱曲として制作された。
「多くの人に歌い継いでもらいたいと思ったからです。」

ただ、完成までの道のりは簡単ではなかった。
資料を集め、読み込み、学び続ける日々。
なかなか言葉が降りてこなかったという。

「お正月頃、やっと歌詞が浮かびました。私はいつも歌詞が先。そしてその言葉が伝わるメロディを後からつけるんです。」

鳴尾 戦争遺跡 鳴尾の橋
学分公民館での「継〜命の橋」のお披露目

そんな新曲がお披露目されたのは、2026年1月25日に学文公民館で開かれた『弾痕の残る橋』移設・設置記念の集いの場だった。
合唱曲/「継〜命の橋」が誕生した日。

曲はできたが、まだ楽譜にはなっていない。
「この思いに共感して編曲してくれる人と出会えたら…」と高田さんは願っている。

震災が育てた“言葉と歌”の原点

高田さんが音楽に向き合う原点には、高校1年生の時に経験した阪神・淡路大震災があるようだ。
「私は大きな被害はなかったんですが、周りには仮設住宅に行った友だちもいて…。子ども心に、あまり聞いてはいけない空気を感じていたような気がします。」
当時は自分の気持ちを、ひたすら詩にしていたという。

「歌もあまり歌ってはいけないような気がしていて、深夜、こっそりラジを聞いて共感する歌詞に出会うとCDを買っていましたね。」

もともと人と話すのが得意ではなかった高田さんは、自分の思いを詩に書き、曲にのせることで気持ちを表現してきたタイプのシンガソングライターだ。

東日本大震災で一度、音楽をやめようと思った

2011年3月11日、テレビに映る圧倒的な被災風景を見て、高田さんはこう思ったという。
「音楽なんて、何の力もないやん…。もう歌うのをやめようか…。」

しかし、その数か月後、ファンから届いた一通のメールが彼女を再び動かした。
「歌いに来てほしい!」

岩手県宮古市でのライブ

そうして震災の半年後に訪れた岩手県宮古市。
まだ震災直後のままの街並みを見た瞬間、涙があふれた。

「そのとき初めて、あの震災の時、自分もしんどかったんだって気づいたんです。」

ライブ後には、こんな言葉もかけられた。
「悲しいのに泣けなかった。でも、歌を聴いていたら自然に涙が出ました。」

また、多くの人がこう言ったという。
「神戸の人がすぐ来てくれて…」

宮古市でのライブ

神戸から東北へ、そして今は能登へと続いている支援の輪。
それは支援というより——
「私は“絆”だと思っています。」と高田さんはいう。
お互い様!の気持ちが、こうして被災地を繋いでいるのだろう。

改めて、能登で感じた『歌の力』

さくらFM の近藤栄さんに繋いでいただき、能登では珠洲市を訪れた。

「家や街は物資で復興できる!でも、コミュニティには“歌”が必要だと言われて行きましたが、すごく腑に落ちました。」

仮設住宅では、引きこもりがちになる人が多い。
でも微力かもしれなが、歌が人を外へつなぎ、固まった心をほどいていく。

能登/珠洲市でのライブ

「最近やっと、みなさんから頂く“ありがとう”の言葉を素直に受け取れるようになってきました。そしてみなさんからいただいた気持ちを、また音楽にしていきたいんです。」

地元・鳴尾との出会いが教えてくれた「地元愛」

コロナ禍でライブ活動が止まり、人生はもう一つの転機を迎える。

実家の接骨院をきっかけに、自身はリンパマッサージを学び、サロンを開業した。
サロンに集まってくれる地元の人たちとの会話が、自分が育った町を知ることになった。
「鳴尾出身と言いながら、これまで音楽活動は全て外でしたから、地元のことは何も知らなかったんです。」

「三姉妹のさき子さんとも、実は繋がりがあって...。先方は私のことをご存知だったんです。」
こうして人と人のご縁が、”甲子園けやき散歩道”と言う地域活動への参加につながり、町のイベントへの関わりを増やしてきた。

気づくと、それが「地元でライブをする → ファンが西宮に来る」という流れも生んでいた。
「これが”地元愛”なんだって思いました」

音楽と防災をつなぐイベントへ

3年前、ムーチョさんの”こうしえんまちなかフェス”の立ち上げの手伝いをした事をきっかけに、昨年は高田さん自身で「にしのみや音楽祭 〜MIYAON〜」を立ち上げ、甲子園駅前や鳴尾駅前などで音楽イベントも開催してきた。

甲子園駅前での『にしのみや音楽祭〜MIYAON〜2025』

「小さくてもいいんです。駅前や街なかで音楽が響く風景をつくりたい!!」
高田さんの新しい挑戦は始まったばかりだ。

「私は先頭をぐいぐい引っ張るタイプじゃないけど、自分の起こす風で、自然に人が巻き込まれていく感じが好きなんです。」

また、イベントには必ず防災の視点を取り入れている。
繋がっている被災地のことは、いつも心の中にあるという。

町にひらかれたライブハウスを夢見てクラウドファンディングに挑戦!

昨年秋に移転したサロン(西宮市池開町5−8 ヴェルスティック鳴尾107)の近くにある”淡路島カレー&カフェ・ストロベリーフィールド”のオーナーとの出会いから、今は地元のカレー店を活かしたライブハウスづくりにも挑戦中だ。

”淡路島カレー&カフェ・ストロベリーフィールド”

現在、お店の改装のためのクラウドファンディングにも取り組んでいる。
クラウドファンディングはこちらから▶︎

「音楽って“音”の問題で敷居が高いんです。だからこそ、ギターを担いで自転車で走っている高校生でも集まれる場所を作りたいんです。」

「まさか自分がこんなことをするとは思ってなかった。でも、これが”地元愛”なんですよね。」と高田さんはとても晴れやかな顔でお話ししてくださった。

新曲「継〜命の橋」:さくらFM 3月7日(土)10時半から番組内で曲をお披露目

戦争の記憶。震災の痛み。人と人との絆。
それらをつなぐために生まれた新曲「継〜命の橋」

そんな新曲がお披露目されたのは、1月25日に学文公民館で開かれた『弾痕の残る橋』移設・設置記念の集いの場▶︎だったが、今はまだ楽譜に落とし込めていないという曲が、2026年3月7日(土)のさくらFMの『なばなネットワーク』内でお披露目される。

=さくらFM『なばなネットワーク』内でお披露目=
2026年3月7日(土)10:00〜11:00 <再放送>3月8日(日)17:00〜17:30
視聴は専用アプリがおすすめ!!( 但し、オンタイムのみです)
iPhone・iPad版 レディモ
Android版 レディモ

高田さんのお話を聞いていて、歌は記憶をつなぐ橋にもなるんだと思った。
きっと高田志麻さんの歩み・歌そのものが、過去と未来を結ぶ橋なのだろう。

継〜命の橋(合唱曲)

悲しみは悲しみのままで
そこにあることをただ知る
声を失くした⾔葉に
⼼を澄まし続けている

向かい合うより隣にいて
そのままの想いを寄せて

この傷跡は命の跡
今⽇も時代を刻み続け
流した涙を忘れないように
どうかあなたのその温もりで
未来(あす)へのバトンを繋いでください

寂しさは寂しさのままで
そばに在ることをただ知る
⾊を失くした景⾊に
希望を描き歌っている

⾒つめ合うより⽬を閉じて
そのままの想いを馳せて

あの記憶は命の橋
繰り返す季節を紡ぎ続け
⽣きた軌跡を残せるように
どうか平和という名の世界(そら)へ
七⾊の虹を架けてください

この傷跡は命の跡 今⽇も時代を刻み続け
流した涙を忘れないように
どうかあなたのその温もりで
未来(あす)へのバトンを繋いでください

あの記憶は命の橋 繰り返す季節を紡ぎ続け
⽣きた軌跡を残せるように
どうか平和という名の世界(そら)へ
七⾊の虹を架けてください

<高田志麻作>公式ウェブサイトはこちら▶︎

投稿日時 : 2026-02-28 09:47:00

更新日時 : 2026-02-27 07:47:18

この記事の著者

編集部|J

『西宮流(にしのみやスタイル)』の立ち上げ時からのスタッフ。
日々、様々な記事を書きながら西宮のヒト・モノ・コトを繋ぎます。

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