阪急夙川駅前の商店街に1951年にできたベーカリー・フリアンド。現在は夙川グリーンタウンの中に支店があるが、本店は若松町の阪急の高架下にあるブーランジェリー・フリアンド。
パン屋の激戦区とも言われる夙川にあるたくさんの店の中でも老舗。古くからの常連さんも多く、次々焼きあがるパンが 次々と売れていく。
その三代目となる谷口佳典さんが、パンの世界大会であるモンディアル デュ パン2015の日本代表となられたと聞き、取材させていただいた。
モンディアル デュ パンって、どんな大会なんでしょうか?
パンの世界大会には、実は3つの大会があります。
一つは、モンディアル デュ パン。後の二つは、クープデュモンドとイバカップです。前の二つはフランスでありますが、イバカップはドイツで行われます。
モンディアル デュ パンを選んだのは、パンの技術を競うもので、一番個人の力が試せる大会だったからです。
ルールは、コンクール前日に1時間、コンクール当日に8時間の準備時間が与えられ、その時間内に課題の作品を完成させないといけません。日常パン・ビオロジック・お国柄パン・ヴィエノワズリー・サンドイッチ・飾りパンのカテゴリーで競いました。
実は以前に一度挑戦していましたが、その時は準優勝で日本代表にはなれなかったので、今年こそはとリベンジを誓っていました。
いつ頃からパン作りをしようと思われていたのでしょうか?
祖父の代からのパン屋でしたし、長男でしたから漠然と「いずれは・・・」と思っていましたが、はっきりと決心したのは大学生の時でした。
夏の間の店のバイトの時にサンドイッチを切っていたのですが、父親に「俺のカットをよく見ておけ!」って言われたんです。
その時、自分も自信を持って人に見せられるものを作りたいと思いました。
小さい頃からずっと、プラモデルや折り紙、レザーカービングなど、とにかく物作りが好きでしたが、やはり家業のパン作りをしようと思ったんです。
パンの修行はどこでされましたか?
まずは外で修行することを選び、ドンクで6年勤めました。ドンクを選んだのは、そこが機械で作るのではなく、個人の力を大切にされていたからです。
そこで1〜2年過ぎた頃に、フランスでパン作りをしてみたいと思いました。
日本のパンは、アメリカのソフトなパンと欧米のハードなパンのいいとこ取りで、日本独自のパンというのはないんですね。やはりフランスに行って、まずはフランスの伝統的なパンを勉強したいと思いました。
パンの業界の伝手で行かずに、私は国際交流の一環としてフランスに行ったのですが、一年で6店舗で修行しましたよ。いろんな店のパンを毎日のように食べました。
谷口さんのパン作りのこだわりは?
私はライ麦の自然酵母を中心に使っています。色々試しましたが、ライ麦が一番発酵力が強くていい酵母菌だと思っています。
作るパンの種類によって、その自然酵母と市販のイースト菌の分量を変えて混ぜて使います。
私は、パンはやはり小麦で作るものだと思っています。
米粉で作ったりするのではなく、小麦を使って、日本人の口に合うハード系のパンを作り続けたい。
西洋料理は油脂分に旨味を求めますが、日本料理は出汁に旨味を求めます。そいういう意味では、素材を発酵させアミノ酸の旨味を引き出すバゲットは、日本人の味覚に合うと思っています。
日本のパンとフランスのパンではどこが違うのでしょうか?
日本では、小麦粉や水などの量をきちんと決めてパンを作りますが、フランスでは小麦粉をどーんと入れて、そこにホースで水を注ぐという、本当に感覚で作っていきます。
「自然を相手にしているんだから、数字通りにはならないよ!」というんですね。
でも欧米人と日本人では唾液の量が違います。ですから、フランスで美味しいバゲットが、日本人にも美味しいかというと、それはそうでもないんんですね。
これまでは、日本ではバゲットより食パンの方が主流でした。でも、食生活も変わってきていますし、日本人シェフの技術も上がってきています。私はやっぱりフランスパンを食べて欲しいですね。
モンディアル デュ パンの本戦は来年の9月。
日常パン・ビオロジック・お国柄パン・ヴィエノワズリー・サンドイッチ・飾りパンのカテゴリーで競うことになる。「どんなパンにするのか、少しずつ頭の中でイメージを作ってますよ。」と力強いお返事をいただいた。
本戦では、襟に日の丸のついたユニフォームが新たに支給されるという。そのユニフォームに袖を通すことになる4人目の日本人が西宮生まれの宮っ子だというのは、とてもうれしい。
取材の後、焼きたてのバゲットを買い求めた。
カリッとした焼き上がりにモッチリと旨味(甘み)のあるバゲットで至福の昼食をいただいた。
2021年第8回モンディアル・デュ・パンでは見事優勝されました。
谷口シェフとスタッフの皆様、本当におめでとうございます!!