今回は、オペラの字幕を作っているという人に出会った。「えっ?そんな職業があるんですか???」という会話から「舞台字幕制作」という肩書きを持つ藤野明子さんのお話が聞けることになった。
ぴったりの言葉を捜して
三日ぐらい悩むこともありますね・・・
全く関係ない時のちょっとした言葉の端から、興味のある情報にぶつかったりすることがある。そんな時は『犬も歩けば〜〜♪♪』と少し楽しい気分になる。
50を過ぎてからですね。この仕事を始めたのは
「今朝4時まで仕事をしてしまって…。でも、もうデータを送ったので大丈夫ですよ。」次に上演されるオペラの字幕の初稿を送ったのだという。
この後、歌い手の人や演出家のチェックをうけて言葉を修正し、実際に稽古場にも立ち会って本番まで徐々に微調整される。
オペラの舞台横にはスクリーンが両サイドに置かれ日本語訳が流れていく。
表示されるのは一度に約20文字まで。20文字以内に訳した表現を、歌に合わせて表示させていく。
「たまには、事前に字幕の内容を聞いてこられる歌手の方もありますね。どんな表現になるのか気になるのでしょうね。」
藤野さんは、原語で上演されるオペラの舞台の袖に置かれたプロジェクターや電光掲示板に出る日本語訳を担当されている。
「私は語学の専門家ではないので、いつも辞書と対訳片手の作業ですよ。頭の中では、歌い手として『こう表現したいな・・・』と言うのがあります。」
元々、大阪音楽大学で声楽を専攻されていた藤野さん。
藤野さんが卒業間近の時に朝比奈隆さんがオペラクラスを作られたのがオペラとの出会い。
そのときに<注>プロンプターをさせてもらい、その経験が今に繋がっているという。
「高校を卒業して、一年は親の仕事の手伝いをしていたのですが、どうしても音楽の勉強がしたくて音大に入りました。小さい頃から自分の声を褒めてもらっていたので迷わず声楽を専攻しました。」
しかし卒業と同時に結婚して家庭に入ることになり、演奏団体の関西二期会に所属していたがそれ程活躍してはいなかった。
<注>【プロンプター】
主に舞台公演で俳優等に台詞の「きっかけ」を出す人のこと。
オーケストラが演奏する中、音楽に合わせて歌いかつ演じなければならないというオペラの特殊性がプロンプターという職務に独自の発展をもたらした。
オペラにおいて器楽演奏と歌唱の融合が密になった17世紀の歌劇場では、既に専門のプロンプターが上演中に配置されていたとみられる。
オペラでのプロンプターは、舞台袖ではなく、中央最前部に設けられたプロンプター・ボックス(あるいは「ブーカ」、伊:buca、落とし穴の意)と呼ばれる90cm四方程度の小区画に配置されることが多い。
(wikipediaより抜粋)
私の記憶にある西宮北口駅は「金木犀」の香り
大阪から西宮北口に引っ越してきたのが終戦のすぐ後のころ。
「たぶん、駅から近い住宅地ということで決めたんじゃないですかね〜?大阪のライオン橋の近くから引っ越してきて、高木小学校に通いました。」
「あの頃、北口には市場が二つあったんです。一つの市場の前に喫茶店がありましたね。昔は喫茶店といえばそこだけだったんじゃないですかね??」
その後結婚して仁川に住むことになり、西宮歴は長くなった。そんな藤野さんは、小さい頃から「あなたは声がいいから」と言われて大きくなり、神戸海星女子高の頃には教会の聖歌隊に入っていた。
ところが、思ってもいなかったことに、音大を卒業すると同時に家庭に入ることになった。
「お帰りなさい!!」と言ってあげる子どもが大きくなった頃から、再び、好きだったオペラ関連の仕事を始め、今の肩書きがある。「好きでやっているうちに、いろんな経験をさせていただいて・・・。本当に人との出会いに恵まれて今があります。
幸せの現在進行形です(笑)」
字幕のキュー出しはスリル満点です
「私のところに来る仕事は、『お金がないんですが・・・』と言う枕詞付きなんですよ〜(笑)」と藤野さんは笑う。
オペラの字幕の仕事をはじめたのは20年ほど前。
海外からの出演者だけでなく、原語で演じられる日本人が増えたこともあって、オペラ上演時に、日本語に訳して字幕にする仕事が増えてきた。
「厳密には、翻訳する人、それを字幕にする人、それを映す人、最終的にその場で楽譜を見ながらGOを出す人がいるんですが、私は殆ど全部をひっくるめて受けます。
弟が開発したパソコンのソフトが威力を発揮しています。」
長ければ半年くらいになるオペラの稽古も見て、雰囲気もつかみながら字幕の文字を作っていくのだという。
「本番はオーケストラが入っての演奏になりますが、稽古の時にはピアノだけなんです。稽古に立ち会われるピアニストの方々は、本当にすごい才能を持っておられますよ。
ピアノだけでオーケストラを表現されるんですから・・・。」
字幕もスライドから、最近はプロジェクターになって来た。
たまには、文字だけでなく写真を写すこともあるという。
「ピアニストの方がキューだしをされる事も多いですね。
私がやりたかったのはプロンプターでしたが、そちらは指揮者の卵の方がなさる場合が多いです。」
ボーカルスコアと呼ばれる楽譜にキュー出しのサインを書き込み、自分専用のキュー楽譜を作る。
本番では、音楽を聴きながら、歌い手さんの様子も見ながら、訳した字幕をゆっくり出したり、パッと出したり。オペラの字幕はそのままお客様に伝わるので、間違えられない。「スリル満点」と藤野さん。
「字幕が、歌と一緒に自然に出て来るんだと思われたらしめたもの。苦労が報われる瞬間ですね。」
敬遠されがちなオペラだが、オーケストラと歌と芝居がプラスされたすばらしい芸術だと藤野さんは言う。
「生の音を聞かれたら、細胞の整列の仕方が変わりますから〜!!」
ゲネプロで字幕制作者の仕事を垣間見て・・・
恥ずかしながら、筆者は本格的なオペラを見たのは初めて。今回、藤野さんの取材をさせていただいたことで、北口の県立芸術文化センター・中ホールで行われた、ニュー・オペラシアター神戸主催の『愛の妙薬』という演目のリハーサル(ゲネプロ)を見せていただいた。
「照明さんの部屋に間借りなんですよ(笑)」と言う藤野さんの仕事場にお邪魔した。
端の方にある机の上に、台本とパソコンが置いてありその前の小さなモニターで舞台の様子が見えるようになっている。
「本当は、指揮者の姿が見えれば一番いいんですが・・・」 指揮者の手の動きが、演奏はもちろんすべての合図となる。
演出家の指示が飛んだりする中で、その日は本番さながらの通し稽古が進行して行った。
一度に20文字までという字幕だが「フルに使うと、読む人もちょっと苦しんですね。
今日は18.5です。」半角スペースがあったりするので、今日の最長が18.5文字になると言うことらしい。
もちろん舞台の面白さに引き込まれながらだが、字幕の表現にかなり目が行ってしまった(笑)
今回の主催のニュー・シアター神戸は、1980年に神戸オペラ協会として発足し、2000年に現在の名前となって活動している団体で、事務所は今も西宮市能登町にある。
「うちのようなお金のない団体でオペラが出来るのも、藤野さんのおかげなんです。」と萩原良子理事長。
今回の公演規模で、2日間で30名ほどの出演者とそれを支える裏方のスタッフたち。
その大勢の人たちの息が指揮者の手の動きと、いい舞台を作りたいという気持ちで一つになっていく。
生き生きとした藤野さんのエネルギーは、ここから生まれて来るのだろう。
「娘達が『お母さんを見ていると年を取ることが怖くない!』と言うんです。」とても古希を過ぎた方とは思えない藤野さんを目の前にして「私もこんな風に生きたい!!」と強く思った。
ニュー・オペラシアター神戸の次回公演は
2011年2月5〜6日「ヘンゼルとグレーテル」