西宮北口駅の東改札口から、その前の階段を下りて昔の駅前ロータリーがあった方に出る。西宮球場があった頃は、もちろんここが玄関口だった。増山実さんの小説の中でも重要な位置を占める場所。
「小説を書いている一時期、毎日のように来ていました」という 増山さんと一緒に、今津線の線路の位置から昔の街並みを探し求めることから始まった。
目線が温かいし、テンポもいいし「え?!そう展開するの?」というストーリーに引き込まれて、ページを繰る手が止まらず一気に読ませていただきました
以前から書いてみたいと思っていた小説を、今回やっと書くことができました。
次のページを繰らせる工夫ができたのは、私がこれまで放送作家をしていたことが影響しているかもしれません。
本の読者は、たとえ5~10ページ面白くなくても我慢して次を読んでくれますし、一旦閉じた本でもまた読み返してくれたりします。
でも、テレビの世界はチャンネルを変えられたらもう戻って来てはくれません。30秒面白くなければチャンネルはあっさり変えられてしまう世界ですからね。
副題の『いつの日か来た道』という空耳は実体験だったとお聞きしましたが・・・
『西宮北口』を『いつの日か来た道』と聞き間違えたのは本当のことです。「どこまでが体験なんですか?」とよく聞かれますが、この小説は体験とフィクションが混じり合っています。この空耳も、小説として頭で考えたら、思いつかなかったと思います(笑)
子供のころに父と一度だけ一緒にブレーブスの試合を見に来たのも実体験です。まだ阪急電車が『ダイヤモンドクロス』と言われた平面交差をしていた時ですね。そのダイヤモンドクロスの鉄路がモニュメントとしてここに残されていますが、こうしてみると案外小さいものなんですね。
交差する線路は人生に似ています。この小説には様々な人生が描かれていますが、西宮の街とは切っても切れないストーリーですし、西宮の街の音もいっぱい詰まった小説でもあります。
このガーデンズが建設されたとき、まるで私たちの街を拒絶している城壁のような気がして少し失望したんです
こうして見上げると確かに城壁ですね。
昔の西宮球場も、あの角を曲がったら突然目の前に球場がそびえたちました。まるでお城のように…。
空耳に誘われて初めてガーデンズに足を踏み入れた時、偶然に5Fの阪急西宮ギャラリーを見つけました。そこにあったジオラマを目線を低くして見たとき、昔、球場を見上げたあの感覚がよみがえってきて、そこから小説を書き進められる気がしました。
増山さんは小さいころから書くことが好きな少年だったのでしょうか?
そうですね。高校か大学のころから何か書いていたような気がします。私の高校の友人に嘉門達夫がいるのですが、彼のネタも書きましたし歌詞も3~4曲作ったんじゃないかな~。
でももっと小さい時、小学校の低学年のころに作文で賞をもらったことがあるんです。
『テレビを見ていたら父親にタバコを買ってきてと言われ、走って買いに行ったけど帰ってきたら見たい番組は終わっていた』という他愛もない話だったんですが、すごく褒められた記憶がありますね。それが原点かも知れません。
この作品を書くにあたって、どんなことに気を使われましたか?
小説の書き方で言うと、一文一文に“読者の心にひっかかる何か”を込めるように心がけました。次の一文を読もうとさせる工夫ですね。
この小説は、何度か話が大きく転換します。読者は、あらかじめ想定できる一色のストーリーの方が安心してその世界に浸れますから、話を大きく転換させるのはある意味危険でもあるのですが、そこでも読者の心が離れないように工夫しました。
この小説は様々な境遇の人々の『ふるさと』がテーマになっています。
人間にとって『ふるさと』とは何か、ということです。
『いつの日か来た道』という空耳から父親のことを書き出し、父の故郷のことにも触れていますが、球場も、ファンにとってはある意味『ふるさと』ですよね。
北朝鮮の帰国事業のことも、ここに西宮球場があったことも忘れてほしくないと思って小説にしましたが、すべて『ふるさと』というテーマにつながっています。
元阪急ブレーブスの選手や関係者の声を小説の中に反映させたいと思い、バルボンさんや高井さん、昔の応援団長さんにもお会いして貴重なお話を伺うことができたことが、この小説に一層の深みをもたらしてくれました。大変感謝しています。
ガーデンズの本屋さんでは、増山さんの本が表にたくさん飾られていますね
私は小説の中で、ガーデンズの中のギャラリーのことを少し辛辣に書いています。ですから、そのガーデンズの本屋さんでこんなに並べていただいているなんて、本当にうれしいことです。
実はこの小説は松本清張賞の候補になったんですが、最終選考で落ちたんです。その後、角川春樹事務所に持ち込んで本になったんですが、その時、角川春樹さんに「かつて西宮球場があった阪急西宮ガーデンズの中の本屋さんに、この本が置かれるのが夢です」とお話したんです。
角川春樹さんは笑ってうなづかれました。
発売の初日に行くと、なんと入り口の壁一面が私の本の表紙で埋め尽くされていて・・・・。
私のような無名の新人には身に余る光栄でした。
本当に感動しましたし、これは売らないといけないなと思いましたね。
何十回と足を運ばれたガーデンズだと思いますが、4Fのスカイガーデンの隅に西宮球場時代のホームベースの位置にベース型の印があることはご存知でしたか?
そのことを知ったのは、殆どこの小説を書き上げていた頃だったんです。で、一部を書きなおそうかと迷いましたが、結局は最初のままでいこうと決めました。
私は昔の地図と今の地図を照らし合わせて球場だった頃の面影をたどりましたが、ほぼ合っていました。
でもこのホームベースといい、あのギャラリーといい、あまりにもひと目につかない場所にある。きっとほとんどの人が気づかないでしょう。まるで『人に知らせたくない』という意図があるように感じませんか?
最初訪れたときにそのことを強く感じたので、ここに阪急ブレーブスの本拠地の西宮球場があったんだということを、小説の中で蘇らせたかったんです。
重要な場所として日野神社が出てきますが、何か思い入れのある場所だったんでしょうか?
実は、日野神社というのは、小説を書く前は知りませんでした。ただ、飛行機で伊丹から羽田に行く時に西宮の上空を旋回するのですが、その時に、この場所にある大きい森を飛行機の窓から何度も目にしていました。で、ずっと「あれは何かな」と気になっていたんです。
今回 西宮北口に何度も足を運ぶようになって地図で確かめてみたら、神社だということが分かって…。このうっそうとした杜の中に立った時、ここを小説の中の一つの場面に登場させようと思いました。
「この小説は映像がうかんできますね。」とよく言われますが、私はこの小説はいろんな音がいっぱい出てくる小説だと思っています。音がたくさんあるから、情景が浮かんでくるんだと思います。
電車のドアのあく音、日野神社の森の葉摺れの音、傷痍軍人のアコーディオン、ラジオから聞こえる歌謡曲、球場の歓声、ヤジの声、ダイヤモンドクロスを渡る電車の音、ジャンの音、風が笑う音……音が想像をかきたててくれるんだと思います。
西宮北口駅から、ガーデンズの北側のひなた緑地、そして阪急西宮ガーデンズ、日野神社へと作者の増山実さんと一緒という贅沢な聖地巡礼をさせていただいた。