関西学院の移転(原田の森から上ケ原へ)

関西学院の創立者、W・R・ランバスは、1886(明治19)年にアメリカの南メソジスト監督教会の指示を受けて、キリスト教伝道のため来日した。そして神戸の居留地47番館(現在の大丸神戸店東側)に読書室を設けた。ミズーリ州のパルモア牧師より寄付を受けたことから、これをパルモア学院と命名し神戸の英語教育の拠点とした。また、南美以美神戸教会(現在の神戸栄光教会)の初代牧師に就任した。
1888(明治21)年、W・R・ランバスは、キリスト教に基づく青少年教育のための男子校を神戸に設立した。神戸市郊外の原田村に約1万坪の土地を購入し、ここに木造の校舎を建て、生徒数わずか19名で関西学院をスタートした。

手前が最初の校舎で、その奥が2番目の校舎。背後は教員宿舎。(1890年)
学校法人関西学院 原田の森キャンパスより

当時この辺りは鬱蒼とした森で「原田の森」と呼ばれていたが、やがてレンガ造りの校舎や本館などが整備され、1904(明治37)年にはブランチ・メモリアル・チャペル(現在の神戸文学館)が建立された。
そして上ケ原に移転するまでの40年間に次々と校舎が建設され、摩耶山を背景に緑の芝と赤レンガの校舎は非常に美しく、神戸市民にも親しまれ、学校行事には多くの市民が集まった。

上ケ原への移転前の原田の森キャンパス・学校法人関西学院 原田の森キャンパスより
関西学院正門
学校法人関西学院 原田の森キャンパスより
神学館 /1912(M45).4.18.献堂式
学校法人関西学院 原田の森キャンパスより
中学部校舎 /1919(T8).6.5.再建
学校法人関西学院 原田の森キャンパスより
高等商業学部校舎 /1923(T12).11.15.竣工
学校法人関西学院 原田の森キャンパスより
神戸市民も楽しみにしていた原田の森キャンパス運動会(1924.10.17.)
学校法人関西学院 原田の森キャンパスより

1904(明治37)年に原田の森に建てられた関西学院のチャペルが「神戸文学館」として生まれ変わりました。
  明治以降の神戸にゆかりのある文学者を、時代ごとのテーマに沿って紹介。またサロンでは、神戸を愛し、神戸を描いた作家たちの作品を自由にご覧いただけます。

「神戸文学館」より
関西学院発祥の地の表示
原田の森の神戸文学館
「神戸文学館」として生まれ変わった「ブランチ・メモリアル・チャペル」
学校法人関西学院 原田の森キャンパスより

関西学院は1918(大正7)年の「大学令公布」を機に大学新設の検討を開始した。大学設置には約10万坪の土地と、供託金60万円が必要であった。そこで原田の森の校地を売却し、資金を得ての移転を模索した。そんな中、知人からの提案により阪急電鉄の小林一三氏に交渉を打診した。
当初は、現在神戸大学のある六甲台と西宮上ケ原の二か所が候補に上がったが、小林氏が西宮上ケ原を選択し決定した。小林氏は関西学院が必要な金額をわずか5分程で、「320万円(原田の森の校地・校舎の買取価格)」と書いたメモを示しました。

また上ケ原の用地取得には、「甲東園前停車場」設置で既知の間柄である芝川又右衛門氏の保有する土地とその周辺の地主3名の合意のもと、約7万坪の土地を55万円で購入することに決定した。

上ケ原キャンパス移転時


新キャンパスの設計はW.M.ヴォーリズが主宰するヴォーリズ建築事務所、施工は竹中工務店で、1928年2月に起工式が執行され、ちょうど1年後の29年2月に完成し、創立40周年にあたるその年の9月28日に新キャンパス落成祝賀式が行われた。
総工費161万7,000円で校舎、グラウンドなどが整備された。

ヴォーリズが採用した明るい「スパニッシュ・ミッション・スタイル」は、キャンパスの強い印象で、「関学と言えばあのスタイル」というイメージが定着し、「関西学院の個性の表象」としてキャンパス整備を進めることに学院も積極的であった。
下図は上ケ原キャンパス開設時と創立125年(2014年)との比較であるが、伝統を継承しながら発展していっている様子が良くわかる。

(左)【1929年】上ケ原キャンパス開設、(右)【2014年】創立125周年
関西学院大学 西宮上ケ原キャンパス 日本建築学会賞(業績)受賞のキャンパス 発展と継承より

上ケ原キャンパスを設計したヴォーリズのコンセプトは

上ケ原は海抜50~70mの台地。ヴォーリズはビューポイント・甲山に向かって一本の主軸線を引き、線上にアクセスの公道を敷設させた。正門から甲山への上り緩斜面に芝生広場を、主軸線上に時計台図書館を置き、直交する副軸線上の左右に校舎を配して、スパニッシュ・ミッション・スタイルで統一。シンメトリーの景観を創り出した。
正門に立つと、視線は時計台を越えて甲山の頂に達し、さらに天空へと上昇する。崇高なものへ導かれていくような、キリスト教精神をバックボーンとする関西学院にふさわしい景観。

1929年開設の西宮上ケ原キャンパス ランドスケープ・デザイン“ヴォーリズ空間”
建設当時の上ケ原キャンパス・学園花通りから時計台と甲山が一線上に並ぶ
西宮市・歴史資料チーム提供
中央芝生から時計台・その背後に甲山
中央芝生と時計台・甲山
時計台から中央芝生を見る

中央芝生の奥に甲山を背景に時計台が配置され、右側に文学部・神学部の建物が並び、左側に経済学部・中央講堂が配置されている。

中央芝生に面した時計台(大学博物館・学院史編纂室)は関学のシンボル
奥に経済学部・手前に中央講堂
時計台をのぞむ中央芝生
奥に文学部・手前に神学部
芝生手前に吉岡記念館とランバス記念礼拝堂

関西学院始まりの中学部と高等部はキャンパン西南の角に配置されている。

左中学部・右高等部の正門と校舎
桜の季節・桜満開の学園花通りから時計台を望む

2020(令和2)年6月1日、西宮市から「関西学院周辺景観地区」に指定された。
その骨子は以下の通り。
「甲山山麓の上ケ原台地に立地する関西学院周辺地区は、関西学院西宮上ケ原キャンパスのスパニッシュ・ミッション・スタイルにより統一された美しい建築物群や学園花通りから正門、中央芝生を含む中央広場空間、時計台、甲山を見通す眺望など、西宮市を代表する景観を有しており、これらの資源が地域の良好な景観形成に大きく寄与しています。」
西宮市HP関西学院周辺景観地区(令和2年6月1日施行)

関西学院周辺の景観賞を受賞した地域を望む

参考資料
 ・甲東園と芝川家7 関西学院の移転 – 千島土地 アーカイブ・ブログ (goo.ne.jp)
 ・原田の森キャンパス | 学校法人関西学院 (kwansei.ac.jp)
 ・原田の森から上ケ原への移転 : 立役者の一人小林 一三翁を中心に3.pdf
 ・神戸市が売却意向の王子公園の土地について歴史的な背景を検証する – ねっと特報 (net-tokuhou.com)
 ・1929年開設の西宮上ケ原キャンパス ランドスケープ・デザイン“ヴォーリズ空間”
 ・西宮上ケ原キャンパス| 関西学院大学 (kwansei.ac.jp)
 ・関西学院周辺景観地区(令和2年6月1日施行)|西宮市ホームページ (nishi.or.jp)
 ・昔の写真 西宮市歴史資料チーム提供

写真及び関係資料は「関西学院 広報室 企画広報課」及び「千島土地」・「西宮市 歴史資料チーム」の許可のもと使用。これらの資料使用には上記関係部署の許可を得る必要がある。

投稿日時 : 2023-12-17 11:54:03

更新日時 : 2024-03-04 07:35:33

この記事の著者

ライターT

西宮流(にしのみやスタイル)の中の『西宮ペディア』を主に担当しています。
西宮市の歴史や街並みに興味深々です。

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