昭和26年の選抜大会に出場し、下馬評を覆し決勝戦まで勝ち進み、準優勝にかがやいた。この時の優勝校は鳴門高校。
そして、この年のチームから4人のプロ野球選手も輩出している。
鳴尾高校は昭和18年に、鳴尾村立の旧制中学校として開校。
第二代校長・植杉英之介先生は戦中・戦後の9年間を鳴尾高校で教鞭をとり、戦後、校長先生となられた。
戦後の虚脱状態の学校を「野球」を通して生徒の意気高揚を図りたいという、先生の方針に賛同した指導者のおかげで、昭和26年の選抜大会に晴れて出場した。
この時の、第二代校長・植杉先生が『野球のことなど』という文章を残されている。
そのときのチームからは、後に活躍した4人ものプロ野球選手が出たというのもすごい話だが、実はもう一つの伝説がある。
準優勝が決まった時、当時の応援団長が象に乗って球場に現れ、応援団のパフォーマンスとして盛り上げた。
応援団長が、球場の近くにあった阪神パークに交渉し、象を連れ出しそのまま甲子園球場に応援のために入ったという。
今では全く考えられもしない出来事だが、当時のその様子の写真が植杉先生の文章の中にも出てくる。
「甲子園阪神パーク」と書かれたカバーを背中かけた象に、はかま姿で校章の入った旗を手にした応援団長がまたがっている。
平成15年3月に阪神パークが閉園した時、あの当時の象は千葉県の動物園「市原ぞうの園」に移ったという。
アキ子とキク子の2頭のうち、高校野球を観戦した象はアキ子だったのではないかという話だが定かではない。
準優勝チームのキャプテンだった濱崎健氏のご子息から、貴重な資料や写真をご提供いただいた 2007年の記事はこちら>>
野球部の話ではないが、鳴尾高校の歴史を物語るエピソードとして・・・
<兵庫県で唯一続く 伝統の臨海学舎>
ところで鳴尾高校は、昭和18年に鳴尾村立の旧制中学校として開講し、昭和25年に兵庫県立鳴尾高等学校と改名した。植杉先生の文章の中に「初代前川校長先生の考えが一番良く出ているのは、“ 白風呂敷・乾布摩擦・樟樹”」と書かれていた。
そんな鳴尾高校の伝統の一つは“臨海学舎”。
2019年の74期生まで続いてきた。(2020年は新型コロナのため中止か??)
戦後盛んだった“臨海学舎”は、安全面の観点などからどんどん姿を消し、今では兵庫県下ではここ鳴尾高校だけという。