甲山大師の名で親しまれている神呪寺は、甲山の中腹にあり平安時代初期に淳和天皇の妃の如意尼が弘法大師を招いて開創したと伝えられる。
弘法大師が如意尼をモデルに彫ったという伝説のある木造如意輪観音坐像は国指定重要文化財で「日本三大如意輪」ともいわれ、毎年5月18日の公開帳には多くの人が訪れる。
かなり長い階段をのぼってたどり着く境内からの眺めはすばらしい。大阪の高層ビル群のはるか向こうには、生駒山、二上山、信貴山の山並みが連なる。元旦には、ここからのご来光を待つ人も多い。
12月31日 除夜の鐘はまず甲山百八会の人が鐘をつき始め、108つ目を住職がついた後は一般参詣者も鐘をつけるので、一晩中鐘の音が聞こえる。
1798年(寛政10年)に「甲山八十八カ所」>>が建立されている。
当時、遠い地であった四国八十八カ所から各札所の砂を持ち帰り「甲山八十八カ所」が作られた。神呪寺の少し下の方かから1番札所が始まり神呪寺周辺の約2キロをめぐることになる。
一部、車道で分断されているところもあるが、神呪寺で略図がいただけるのでそれを片手に歩いてみよう。(但し たまにイノシシと遭遇することもあるので注意が必要)
神呪・・・って、なんとなくおどろおどろしさを感じさせるが、この名前には諸説あるようだ。
神呪寺のホームページに行くと 名前の由来も書かれている➡
またこの神呪寺は今は西宮市甲山町にあるが、織田信長の焼き討ちにあって、一時期 少し東のふもとに移っていたことがあったようで、今では神呪町>>(甲東園駅西側)という地名として残っている。