兜麓底績碑(とろくていせきひ)

廣田神社 

廣田神社の大理石の鳥居を潜り最初の締め柱の手前を右(北)に20~30m進むと兜麓底石碑に行きつく。
囲いを入ると右側に詳しい物語が銅板に詳しい説明が記されている。

江戸時代初期の寛永18(1641)年は大変な旱魃でした。
そこで、鷲林寺新田(じゅうりんじしんでん)村・広田村・越水村・中村・西宮町の社家郷(しゃけごう)村の村人たちは、社家郷山に降る雨は自分達の村のものだとして、用水路を作ろうとした。
それは、社家郷山のふもとの湯の口(現・甲山高校付近)から数十メートルの岩を掘って鷲林寺新田方面へ流れる用水路です。ところが、いままで仁川の水を利用していた仁川下流の大市村などの人々は自分達の水が減るとしてこの工事を妨害した。
そこで中村の庄屋、中村紋左衛門は一計を案じ、天狗の面をつけて待ち構え、夜に用水路を壊しにやってきた妨害者たちを驚かせて仲裁した。その後は工事が無事進められるようになり、二年がかりで完成させたそうだ。
この功績をたたえて、広田・越水・中村の農民達が明治28(1895)年に廣田神社に建てたのが「兜麓底績碑(とろくていせきひ)」だ。
毎年9月第一土曜日には、中村治部紋左衛門の顕彰祭が行われている。

西宮市【環境学習参考情報】 歴史・文化 – 広田

投稿日時 : 2022-01-07 17:57:57

更新日時 : 2024-03-25 18:35:26

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