昭和38年11月3日に、当時の西宮市は高らかに「文教住宅都市」宣言を行った。
<抜粋>
ここに、西宮市は三十万市民のひとしく望むところにしたがい、風光の維持、環境の保全・浄化、文教の振興を図り、当市にふさわしい都市開発を行い、もって市民の福祉を増進するため、西宮市を「文教住宅都市」と定め、こんごの市政運営がこの理念に基づいて強く推進されるものであることを宣言する。
<西宮市のWEBサイトより>
文教住宅都市宣言を行った背景には、高度経済成長の真っ只中であった昭和30年代半ばに、西宮沖の埋め立てや石油コンビナートを誘致する計画が持ち上がり、市を二分した大論争の結果、昭和37年に誘致が中止となったことがあった。
この時、工業化への道ではなく環境との調和を大切にしていくことを選んだということで、昭和38年のこの宣言となった。
西宮市は、「文教住宅都市」宣言から20年後の昭和58年には「平和非核都市」宣言をし、それからまた20年後には「環境学習都市」宣言を行っている。
平成25年9月には、この三宣言が50年、30年、10年になるということで記念誌も作られた。