今、フェイスブックのタイムラインに悲しい知らせを見つけました。映画監督、塩屋俊さんの突然の訃報でした。急性大動脈解離のため仙台市の病院で死去、56歳だったと。。。。。。
この5年で、なんどかお話させていただいた塩屋監督への思いを込めて、 西宮流の記事を振り返ってみました。
塩屋監督と初めてお会いしたのは「0からの風」を西宮市のフレンテホールで自主上映しようという企画に、西宮流にお声がかかったことからでした。
その、自主上映の広報の一環で記事を書かせていただいた中で、塩屋監督にも取材させていただいたのが、今から5年ほど前のことでした。
その後、二度目にお会いしたのは「ふたたび~SWING ME AGAIN~」の撮影でメガホンをもつ塩屋監督でした。この映画は、今や映画やドラマで大活躍している、西宮出身の鈴木亮平さんが主演の映画でした。大手前大学のキャンパスで行われた撮影の様子を取材させていただき、その後、大学で行われた試写会でも再び塩谷監督の取材の機会をいただきました。
映画監督という職業の方とお話させていただいた数少ない方のお一人でしたが、いつも穏やかに、そしてご自分の夢をひたむきに語って下さる方でした。
塩屋監督は映画「ふたたび」がご縁で、その後大手前大学の客員教授となられ、阪神大震災で本館が倒壊した大手前大学での実話を、ミュージカル仕立てにして学生に演じさせるという授業をし、2012年1月17日に上演されました。
その稽古の最中に 東北の大震災が起こりました。「阪神淡路大震災」と風化させたくないという塩屋監督の思いと、映像で東北の惨状を目の当たりにした学生達の思いが重なり、観客の心を揺さぶる作品となり、今年の3月にはアミティーホールで再演となりました。
この時の取材記事はこちら⇒
東北の震災の後は、福島県相馬市の医療現場を描いた演劇「HIKOBAE」を手掛けられ、ニューヨークで上演されたことをニュースで知り、西宮から小さな拍手を送っておりました。
その作品の公演で訪れた仙台市の会場楽屋で休憩中に倒れられ、そのまま亡くなられたというニュースに、今はただただ唖然・呆然の気持ちです。
本当に言葉もありませんが、心よりお悔やみ申し上げます。
塩谷監督の少し照れたような笑顔、忘れません。合掌